「財布に一か月間使うことなく入れておくと、もれなく1%減額される紙幣がある」 ?????。一体どれだけの?が頭に埋め尽くされただろう、最初に知った時の理解不能さやらは、、、 減価貨幣というらしい。そしてこの特性を持たせて地域で発行されるお金、地域通貨が地域活性化に大きく役立っているという。
上記は、ドイツのファンタジー小説家ミヒャエル・エンデが現在の経済システムに警鐘をならした”エンデの遺言 根源からお金をとうこと” を読んで知った。商人文化が根強く、出会い頭に挨拶のごとく「どうでっか~?」「ぼちぼちでんなー」と財務状態に首を突っ込んでくる、粗雑な奴から育ちの良いお嬢さんまでかなりリアルなお金の話を好んでする、そんな大阪で育った自分がお金に関する本を読み漁るのはなんら自然であり、知り得た経緯はそのようなものであった。
地域通貨とは、地域内でのお金の循環を促し地域経済をを刺激することを目的にとしていて、現在世界で3000種類ほど発行されていて、決まった運営システムはなく地域ごとに様々である。最大の特徴は、通貨が貯蓄に回られることなく速やかに消費に使われるように工夫されている点で、もし一定時間同じ人が持っていると、次にそれを使うとき、額面の1%に値するシールを買って張らなければ使えなくなる、つまり一定時間の経過で価値が減ずる、原価機能を持ち合わせているのである。形態は紙幣のもあれば、独自の通帳で額を記入して済ませるケースもあり、在り方は地域様々である。
実際に地域通貨ピーナッツが使われいる西千葉の、ゆりの木商店街に行って、加盟店のオーナーと制度設計者の村山和彦氏にお話を伺ってきた。
会員数は約4000名で、60の店舗が加盟している。商店街で取引される商品やサービスの料金の5~10%をピーナッツで支払う。取引は加盟時に発行される通帳を使い、サービスや物を提供した側が、+ と書き、続いて、やりとりされるピーナッツ単位の数値を記入し、サービスや物の受け取り手、消費側は、 - に続き同じ数値を記入する。そして、通帳のプラス残高は一か月につき1%ずつ減価していくシステムとなっている。
ちゃんぽん店でお話を聞いている時、地元の奥さん方がお勘定をする様をそばで見せてもらった。この店では、支払代金が650円以上なら代金の一部(50円分)をピーナッツでやり取りする。600円を現金で支払った後に、互いにピーナッツ通帳を取り出して、奥さんが-50、店の主人が+50と記し、通帳を交換して記した横にサインして取引は完了する。が、ここで面白いことを目にした。取引完了後、「アミーゴ(友だち)!」と言いながら、お互いに目を見ながら固く握手やハグをする。 店主は「サインとして相手の通帳に自分の名前を記す、自分の通帳に相手の名前が記される。このやりとりが人間関係をつくる。一般貨幣にはできないことだ」と言う。
思うに、ピーナッツは取引することで自分がコミュニティーの一員である実感を生むのであろう。取引自体が一つの楽しみだ。
長々とちゃんぽん店でお話を伺っていると時刻は4時過ぎ、下校中の小学生が通りの方から店の店主にガラス戸越しに手を振って行ったり、店に立ち寄って水を飲み、店主夫妻に挨拶をして帰る場に出くわした。すごく温かな気持ちになった。現代社会が置いてきぼりにしてしまった”always 三丁目を夕日”のあの地域のぬくもりがここにはある。そう感じた。店主は「子供の見守り役もピーナッツが生んでくれた」と話す。
ピーナッツが生んだ地域意識は取引以外の場や、ピーナッツの使い手ではない子供をも巻き込んでいる。
自分が一番心惹かれたのは以下の大学生の活動だ。西千葉は三つの大学を持つ文京地区で、ちゃんぽん店の前の大通りの向かい側に千葉大学がある。一つは千葉大学の学生がちゃんぽん店に、「自分たちに彩どらせて欲しい」と願い出て店内の壁を薄鮮やかにペンキで塗り、また日本美人画を地域の人から借りてきては色取った壁に掛け、店内がすごく趣深いこと。僕はすごく好きだ。
お世話になったちゃんぽん店のオーナー夫妻と、学生が彩どった壁と日本画
もう一つは、商店街に隣接する大通り沿いが綺麗にされていること。大通りの街路樹やプランターが手入れされているとすぐに分かる。こらは園芸学部の学生によるものだそうで、園芸素人の自分にも非常にこまめに手入れがされていることが見てとれる。
また、カフェやバーのシャッターがペンキでポップにデコレーションされていて、店を訪ねた日が閉店日だったのだが、白いシャッターを無機的にさらして、あの冷たく断られている感がここにはなく、店内はもっと楽しいんだろうなという思いにさせてくれた。
あっちこっちへ行きお話を伺っていると、すっかり夕方でお腹もすっごくへったので、ちゃんぽん店へ戻ってちゃんぽんをいただいた。気持ちは近所のおじさん家で食べている、そんなあたたかい感じでやさしい味だった。会計はもちろんピーナッツで。店と50円分の50ピーナッツを +-取引をして、今日一日の感謝を込めて店の夫妻と「アミーゴ!」とハグ。やはり、おじさん家に夕飯によばれての「そろそろ帰るわ」「ほな、気つけて。また来いや」との玄関先での一コマのようだ。
すっかり暗くなった商店街を帰路に歩きながら、ピーナッツは通貨でありながら取引それ自体を目的にしているのではないのではないかな?市場原理が取りこぼしてきた、人の営みに大切なものを気付かせてくれ、それが地域生活に再び息ずく、それがピーナッツのメンバーの一番の想いではないだろうかと、そう思った。
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