12月17日(土)に実践女子大学で行われたイベント「ゼミレンジャー2016~経験のリアルとリアリティを考える~」に参加してきました。今年で3回目のこのイベントは実践女子、同志社女子、立教、慶応、東京都市、そして法政の6大学で構成された合同ゼミワークショップ(ゼミレンジャー)です。今年は去年のテーマ「経験の棚卸」に加えて「リアルとリアリティ」がゼミレンジャー2016のテーマでした。「経験の棚卸」というのは、それぞれの大学でのゼミの活動ではわざわざ言語化せずとも通じている部分を、大学の枠を超えてゼミをするときに、他の大学の人たちに自分たちの活動を伝えるために言語化することで経験を語り自分たちの活動を客観的にみたり、その活動に意味づけすることができるようになることです。そして「リアルとリアリティ」は、普段の自分たちの活動はリアルなのか、それともリアリティなのかということを、○○っぽいというキーワードを手掛かりに経験や学びを振り返っていきました。
ゼミレンジャーのコンテンツ(約5時間)は各大学の運営メンバーが考えつくります。そのためはじまりの時間が押しても時間をまくことができないほどコンテンツは盛りだくさんでした。そしてそのコンテンツ一つひとつのワークにいろんな意味や想いが込められており印象に残っていることがたくさんあります。流れを簡単に説明すると、会場にいるほぼ全員がマネキンになるマネキンワークアイスブレイクからはじまり、同女と実践による身体とリアリティWS(ダンスを通してリアリティを体感するワーク)があり、6大学それぞれのイメージにちなんだお菓子が出てきた休憩時間をはさんで、立教と先生方によるキラキラ&グダグダ写真を使った「ぽい」WS、法政によるトークセッション「プロフェッサー 究極の選択」、最後に慶應によるリフレクションで終了という形です。
大きく印象に残っていることを2つ書きたいと思います。1つ目は同女と実践による身体とリアリティWSで同女の人が言っていた「まだまだやれる、もっとできる」というメッセージ。Girls bandとして自分たちで舞台を作り、パフォーマンスをする彼女たちが日々クオリティを追求しながら自作自演する姿勢を感じることができました。また同時に、実践女子の「リアリティ体操」でラジオ体操にのせて出されるお題(シンデレラや福沢諭吉など)を大学ごとにダンスで表現することを通して、出されたお題が一瞬無理だと感じても、即興的にとにかく「やってみること」でなんだかおもしろい形になっていたり、楽しんでいる自分に気が付きました。今この時点でやっていることはリアリティなのかもしれないけれど、「実際にやってみる」こと、そしてリアルを目指す姿勢「まだまだやれる」と思うことがリアリティからリアルへ変わる大きな要因であると思いました。
2つ目はキラキラ&グダグダ写真(1枚はSNSにアップしたくなるようなもの、もう1枚はアップしたくないもの)を使った「ぽい」WSを通して、「○○っぽい」と「実際」のGAPを発見したり、「ぽい」と「実際」はどう関係しているのかということを考えたことです。まず同じグループの他大学の人に自分の大学(組織)と私(個人)の外から見えるイメージをしてもらいます。その後、同じグループで各自が事前に用意した写真2枚を見せながら説明し、組織と個人の実際はどうかというのを対話を通して探ることで、イメージの中での組織と個人のGAP、実際の組織と個人のGAP、そしてイメージの個人と実際の個人のGAPを見える化しました。恥ずかしいので私の結果をここにはアップしませんが、、それぞれどの程度合致していて、どの程度GAPがあるのかということを見える化することで、普段の自分というのがある程度組織や周囲の目から無意識につくられていることに気が付きました。
オープニングに松下先生からリアリティにはネガティブとポジティブの2種類があるという話がありました。ネガティブリアリティとはつまりリアルにならないリアリティのこと。その場しのぎをするためだけにあるものです。一方のポジティブリアリティとは、リアルになるためのプロセスであり、感度であり、アプローチのことだそうです。ゼミレンジャーを終えて、こんなことをやってみたい、またこんな人になりたい思って努力するプロセスがリアリティが新しいリアルになる瞬間であると思いました。残念ながらリアリティがリアルへ自動的に移行することはありません。だからこそまだまだできる、挑戦し続けるということをしているのかと自分に問い続ける重要性をあらためて気づかされました。
「経験の棚卸」そして「リアルとリアリティ」についてたくさん身体を動かしたり、対話を通して考えたゼミレンジャーはくたくたでとても充実した一日となりました。
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