6月24日、開催初日となるこの日に土木展に足を運んだ。
この土木展は、鉄道や道路など社会的なインフラを指す、土木そのものに焦点を当てている。英語では「Civil Engineering」と表記されるように、市民・社会のための技術であるにもかかわらず、当たり前になりすぎていて、誰も土木に目を向ける人がいない。そんな人たちにもっと土木を知ってもらいたいという思いから、様々なアーティストと『土木』がコラボレーションをしている。
私自身、土木という言葉を聞いたこと自体が久々で、上述した一般の意見と同じように、土木に目を向けたことなどほとんどない。工事のイメージから『うるさい』、『デカい』という印象があるというくらいだった。会場は東京ミッドタウン内にある21_21 DESIGN SIGHTだ。六本木というおしゃれなイメージと、土木のイメージとのギャップ感がとてもおもしろい。会場内は比較的暗く、映像や巨大パネル、大音量の音が流れているなど、斬新な展示を行っていた。展示では普段、完成品ばかりを目にしている土木が、作られていく過程や人、技術に焦点を当てており、とても新鮮な体験だった。
「渋谷駅解体」
私たちが普段利用している駅は、道路や駅などの
インフラに支えられているということを意識させてくれる。
「つなぐ:渋谷駅(2013)構内模型図」
こちらは渋谷駅構内の模型。複雑な渋谷駅は、土木から成り立っていることがわかる。
「土木写真家 西山芳一氏による土木工事の風景」
その中でも特に印象的な展示に『土木オーケストラ』と「ダムカレー」がある。
その1つ目が『土木オーケストラ』だ。この土木オーケストラは工事を行う際のドリルや建物を破壊する映像などをつなげ、名曲ボレロを奏でているとてもおもしろいインスタレーションだ。まず最初に驚いたのがそのスケールの大きさで、壁の大きさは縦5メートル、横10メートルほどもあるとても巨大なものだ。しかも映像を映し出す壁は、1面だけでなくオーディエンスを囲うようにして、3面の壁に映像を映し出していた。映像の中には、全体に指示を出す司令役の人を写したシーンや、釘を打ち込むシーン、重機を扱うシーンなど様々なものがリズミカルにボレロを奏でていた。
「土木オーケストラ」
土木工事の作業をだけで、ボレロを奏でている。
(写真は、21_21 DESIGN SIGHT HPより引用)
土木オーケストラと同会場には、使われていた道具も展示されていた。
その見た目からかなり古いことがわかる。
私は「土木=デカい」というイメージがあったので、大雑把な印象があった。しかし、ひとつのズレが全体に影響を及ぼしかねないし、重機を扱うため、命の危険も常にまとわりついている。一見大胆に見える土木は、緻密で慎重な作業の積み重ねなのだということを目の当たりにした経験だった。ダイナミックな映像を用いて、緻密な作業を表現していくという、土木の規模感と精密さが伝わってきた。まさに土木工事そのものを表した展示と言えるかもしれない。
私の中で印象に残っている2つ目に展示は『ダムカレー』だ。
ダムは、一言にダムといっても、実はアーチ式や重力式など、土地や条件に根ざした様々な形がある。それを楽しく・美味しく表現したものがダムカレーなのだ(展示品は食品サンプルだった)。土木の展示会に食べ物が置かれているというのはとてもユニークだ。珍しさのあまり、1人でずっと笑っていたし、隣で見ていた外国人のカップルは「ワオ!」と驚きの声をあげていた。
だが、ただユニークなだけでない。ダムにはそれぞれ特性がある。例えば重力式ダムは、強度が高いため、地震や降水量が多い場所などでよく見られるそうだ。そのようにダムの特性に言及することで「自分の生活用水を供給してくれているダムはどこなのか」と自然と自分の知っている範囲内でものごとを考えていた。つまり、カレーを通して土木に目を向けていたのだ。
「ダムカレー」
こちらはアーチ式のもの。 富山県の黒部ダムなどがこれに当たる。
土木は規模も大きく、社会的な役割として非常に重要だ。しかし、工事の工程自体は単調なものが多いし、ダムのように、必ずしも土木そのものが見栄えするわけでもない。言いにくいがおもしろいものではないかもしれない。土木が当たり前なものとなってしまい、目が向けられなくなってしまっている原因の一端はここにあると思う。
しかし、今回のように意外なものと組み合わせてみるとどうだろうか。音楽と土木工事、ダムとカレーが掛け合わされていたりするとそれだけで、ついついみたくなってしまう。そんな風に面白く“魅せる”と、みる側から興味を持ち、それについて調べていってしまうことがある。
つまり、面白く魅せることで、興味をもつきっかけを作っているのだ。何かを教えるのではなく、調べたくなるきっかけを作る。面白く魅せるということは、興味関心への入り口なのではないだろうか。
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