2月の中旬に京都の久多に行ってきた。京都市左京区の最北端に位置しているため2月は積雪が多く、村の人口は約80人の集落である。今回、なぜ久多に行ってきたかというと「村・留学」というプログラムに参加したからだ。「村・留学」とは全国から大学生が集まり、8泊9日間、村で一緒に暮らす。暮らしを通して現在まで残った地域・村の在り方からサスティナブルな社会を考え、学ぶプログラムだ。久多での「村・留学」の開催は3回目であり、主催者は村で農家民宿を営む奥出さんと20代で暮らしている松瀬さん。
「村・留学」に参加を決めたのは地域コミュニティを肌で感じたいと思ったから。現在、地方での人口減少や高齢化の問題が大きく取り上げられ、地方創生という言葉が世の中に広まっている。だが、普段じぶんが都市部で生活する中で地域のことは見えにくい。実際に観に行き地域や村のコミュニティを肌で感じることで、その先に見えてくるモノがあると考えた。
(今年は暖冬だったため、あまり雪が降らなかったが綺麗な雪景色は忘れられない)
留学当日、村に入る際に主催者の奥出さんから「村のひとは警戒が強く、変化を嫌う」とお話しをしていただいた。そのため、村では必ず誰かの畑や土地に入らないことと村のひとにすれ違ったらあいさつを交わすことを心がけた。留学の間は主に奥出さんの家で家事や洗濯などを手分けして共同生活をする。村の暮らしは味噌づくりや狩猟など非日常的だった。また、村のひとが集まるイキイキセンターで出会ったおばあちゃんや前回の村・留学で関係ができたおじいちゃんに直接インタビューしに行った。じぶんがインタビューしたおばあちゃんは家に招き入れていただき、一緒にこたつに入って話した。村の歴史から家族についてまで多くのことを聞けた。
インタビューしたおばあちゃんや主催者の奥出さんとも話す中で印象的だったのが、人間関係について「わずらわしい」と言っていたこと。村ではいつ、誰が、どこで、何をやっているかがすぐにわかり、すぐに伝わる。実際に体験した出来事として、じぶんたち学生が道を歩いていると一台の軽トラが目の前を止まった。そして、乗っているおばあちゃんが荷台に乗っけて目的地まで連れっててくれた。そのおばあちゃんとはその時に初めてお会いしたのにもかかわらず、じぶんたちのことを知っていた。つまり、村のひとたちは生活やプライバシーの一部が互いに知っているという関係なのだ。 この関係を「わずらわしい」と村のひとは言う。正直、はじめは共感ができなかった。というのも、じぶんの生活の中で「わずらわしい」と感じたことがないからだ。
(主催者の奥出さん。海外で働いた後、久多に移り住む)
留学の半ば頃、学生が毎日行う夜のミーティングでじぶんたちの共同生活について話があがった。それは「頼ること、頼られること」の難しさだ。今まで関係性が全くない状態で共同生活が始まり、お互い役割を持って行動していた。共同生活の中で必ず一人ではできない状況がいくつも起きる。相手に頼らずにじぶん一人で出来れば楽ではあるが、じぶんが困ったときにいざ相手に頼ろうとしたら辛さや難しさを感じる。なぜなら、じぶんのプライベートな部分をまだよく知らないひとに見せないといけないからだ。だが、改めて考えるとじぶんたちが感じた「頼る、頼られる」の難しさこそが「わずらわしい」なのだ。
ひとの関係性は本来「わずらわしい」ものだと奥出さんは話す。留学の間、学生の人数が多いため全員の寝る場所やお風呂に入るのが大変だった。そこで、お隣に住む道子さんが家のお風呂や寝床を使わせていただいた。道子さんはまったく嫌な顔をせず、いつも明るく話しかけてくれる。普段の生活に置き換えたら、あまり関係性がない隣の家にお風呂を借りるより、お金を払って銭湯に行くことを選ぶ。だが、道子さんがじぶんたちにしてくれた振る舞いは対価を求めようとしていない。純粋にじぶんたちを助けてくれた。
(真ん中にるのが道子さん[通称 みっちゃん]。周りを囲んでいるのが一緒に学んだ友。)
今回、村のコミュニティに触れることができたのは、奥出さんが長い時間をかけて築いた村との関係があったから。現在は移住者として、久多で「村・留学」を開催したり、京都の大学とつながってプロジェクトを起こしている。そして、村の住民は外のひとと関わることで、じぶんたちの村に対して可能性を感じている。村・留学を通して、これから村に求められるのは移住者だけではなく、外のひとと「わずらわしい」関係を作っていくことだと感じた。「わずらわしい」と感じるのは悪いことではない、関係を結ぶきっかけだと思う。
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