哲学って難しそう。
哲学という言葉を聞いて最初に思い浮かぶのが、そんなイメージだ。そんな難しいイメージを取り払って、誰でも哲学について語ることができる「哲学対話」という活動があると、とあるゼミ生が教えてくれた。それ以来、私は哲学カフェというものに興味を持っていた。そして、ネット上で見つけた1月23日開催の「鎌倉哲学カフェ」に参加してきた。
「鎌倉哲学カフェ」とは、月に1度ほど開催されており、毎月違うテーマについて参加者全員で対話していくといったものだ。私が参加した1月の会は「人はなぜ服を着るのか」という答えのない、いかにも哲学チックなテーマだった。
開催場所のcafe terre verteは駅から離れた場所にあり、観光地の鎌倉とは思えないほど静かで、時々(おそらく)トンビが鳴いているほどだった。会場はお店の2階にあり、部屋いっぱいに椅子とテーブルが円状に並べてあり、哲学対話のスタイルはこの円状なのかと思った記憶がある。
(会場のcafe terre verte。入り口には看板と一緒にレトロな車が置いてあり、可愛らしい雰囲気。)
参加者が10人近く集まり、会が始まると今回の趣旨や注意点などが説明された。
その後、ファシリテーターの神戸さんから「この場では、考えていれば参加していることになります。なので、対話中に一言もしゃべらなくてもいいんですよ。」と言われたことが印象的だった。
正直、このような対話の会ではその場にいるのだったら発言しなければいけないと思っていたし、「哲学」を話しに来る人たちだから頭が良くて、話についていけないかもしれないという不安もあった。しかし、この一言で自分の不安が和らぎ、普段通りに話をしていくことができたように思う。
堀田さんが最初に説明してくれた通りに、私自身よく喋る場面とあまり喋らない場面が極端に分かれており、参加者の中には実際にほとんどしゃべらずに会を終えた人もいた。この有るようで無いような約束事によって参加者が自由に過ごすことができているのだと感じた。
今回は「人はなぜ服を着るのか」というテーマだった。
服は自信をつけるために着るんだとか、服の流行について、そして服について誰もが経験のある制服についてなど、話はとても大きく膨らんだ。
なかでも制服についての話はとても盛り上がり、制服など決められたスタイルは自分が服をわざわざ選ばなくて済むので楽だという意見と、規則に縛られているようで窮屈な感じがすると、意見が二手に分かれた。制服賛成派の人から制服反対派の私は意見を求められ、拙いながらも自分の意見を述べると賛成派でも納得してくれる人もいた。そうして話し合ううちに最初は制服反対派だった自分は、
「制服って窮屈な感じがするけど、その中で工夫してお洒落するほうが面白いんじゃないか。」
といつの間にか制服賛成派になっており、それを見た周りでは笑いが起こっていた。
このように答えのない問いでは、それぞれが違う意見をもっており、様々な視点からそれを語ることで、意見を新しく更新しているように思えた。
鎌倉哲学カフェでの対話はとても楽しかった。
『人はなぜ服を着るのか』という問いは答えのないテーマだが、最初の「考えていればこの会に参加していることになる」という、ちょっとした約束事のおかげで自分が話したい時に話すという自由度の高い対話ができたからだ。
難しいテーマを、頭を使いながら考え、時には自分の意見を様々な人と話し合い、時には人の意見をじっと聞く。対話を通して、参加者にそれぞれモヤモヤした疑問が生まれたり、自分の考えが更新される過程を楽しんでいた。そんな変化の過程が対話をする楽しさなのではないかと思う。
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