ひとまず、この記事を読んでほしい。とても刺激的で面白いインタビュー記事なので、本当はすべての人におすすめしたいところなのだけれど、特に、「アート」、それから「対話」というワードに関心のある人は、ぜひ一読してほしいと思う。
読んでいただけただろうか。
私はそれまで、芸術(アート)というものは、芸術家がひとりで苦心して創りあげるものだと考えていた。芸術は、独自のものでなければならない。芸術家は自分だけの強い想いに突き動かされて、その想いをどうにか見えるかたちとして表出させ、芸術作品として発表する。そんな自分だけの想いを他者と共有することはできないから、芸術家は孤独なものだと考えていた。というか、孤独だからこそ芸術家なのだ、と思っている節さえあった。
だから、この記事を読んだとき、芸術をみんなで創るという試みを知って、そういうこともあるのか、と、意外に思った。そして読み進めていくうちに、彼らがほかの芸術家たちと同様、一人ひとりがそれぞれ独自の想いを持って臨んでいることや、しかしそれらの想いのすべてをひとつに集約することはできないから、どんな想いをこの作品に込めるのか、徹底的に話し合ったことを知った。
“私は、塀を取るという案に対してすごく拒絶反応があって、塀は、壁はむしろあってほしいし、それはいじっちゃダメだと思った(後略)”
“わたしは、塀を取る案が出たときに、「それでも良いじゃん」と思ったんですよ。川が二本流れていて、間のしきりを取ったら溶け合うじゃないですか。そんな風にしか考えていなかった。”
良いとか悪いとかではない。何を貫き、何を捨てるか。この作品で何を発したいのかという価値観の差でしかない。しかし、だからこそ衝突する。何度も衝突を繰り返し、そしてそのたびにかなり濃密な「対話」が行われていたことが、インタビューから伝わってくる。
“今回の企画展を進めていく対話の中で、何度かしている失敗ではあるんですけど、無意識にマジョリティー側の意識を押し付けているんだと自覚しましたね。そういうつもりは無かったのに、同化主義的な考えだったんだなって”
自分の価値観を表明するだけでなく、他者の価値観にも耳を傾ける。そうしてやり取りを重ね、お互いの想いのなかで共感できる部分を照らし合わせようと試みる。ただし、誰一人妥協はしていない。ただただ相手の想いを深掘りする。接点を探す。その結果として、時に第三の想いがその場で生み出されることもあったかもしれない。
そんなふうに対話を通して生まれる作品だってあるのだと知った私は、ぜひその作品をこの目で見たいと思った。そして幸いに、その作品が展示された「突然、目の前がひらけて」展の最終日に、会場である武蔵野美術大学を訪れることができた。
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――意外と、地味。
その作品を最初に見たとき、失礼ながら、そう思った。
見栄え的には、決して特別に目を引くような作品ではない。造りは頑丈そうだけれど、ほとんど木材がむき出しで、ところどころペンキか何かで黄色く染色されているだけ。私たちがイメージする通りのアート、例えば岡本太郎のつくった像なんかと比べると、奇抜でもないし、特に意匠がこらされている様子もない。
それでも、段を一歩ずつ上がっていくにつれて、記事のなかで語られた製作者たちの想いや葛藤が思い出され、胸に迫るものを感じた。
橋の一番上、武蔵野美術大学と朝鮮大学校を隔てる塀の真上に立った時――それまで目の前に屹立していた塀を超えて一番高いところに到達したその瞬間、急に視界がぱっとひらけた。地上では私よりも背の高かったプレハブ小屋の屋根を上から見下ろしている。さらに見回して、私が立っている足元から、右と左に、灰色の塀がずっと遠くまで伸びているのを見たとき、自分が境界の上に立っていることを、私は強く強く意識した。そんな経験は初めてだった。そんな視点を持ったことなどなかった。まだ誰も気が付いていない、まだ誰も発見していない新たな視点を人に与えるアートのちからをまざまざと体感した。
(朝鮮大学校側からみるとこんな感じ)
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それぞれが込めたい想いを語り、対話しながら、創る。それは簡単な工程ではないだろう。その想いを込めることで作品にどんな意味が付与されるのか、考えなければならない。考えたうえで、言語化しなければならない。仲間に伝えなければならない。そして自分ばかりが語るのではなく、他者の想いにも辛抱強く耳を傾けなければならない。しかしそんな大変な過程のなかで他者と想いの衝突と対話を繰り返すことで、最終的に作品に込められる想いは、そのぶんだけより密度の濃い、深みの増したものになったはずだ。少なくとも、私が橋を上りながら、ふとその想いについて思い返したくらいには。
そしてより強くなった想いは、創られたモノを通して、より大きな意味として、受け手の前に表れる。その作品が存在する意味や、理由。もちろんそのなかには、機能的な側面も含まれているだろう。武蔵野美術大学と、朝鮮大学校をつないでいるという機能。そのほうが便利だから。効率がいいから。……しかし、そんなことは彼女たちにとって、ほんとうに些細なことだったにちがいない。つながってさえいればいいなら、別に「この橋」である必要はなかったはずだ。梯子を掛ければそれでよかっただろうし、壁をぶち抜いてもよかったはずだ。
“「ひょい」っていとも簡単に行ってしまうその行為が想起させるふり幅に、すごく驚いたし、すごく魅力を感じましたね”
そんな想いがあったからこその「この橋」であり、そんな想いがあったから、「この橋」でなければならなかったのだ。そして、そんな唯一無二の想いを内包するからこそ、この作品は大きな意味を持って存在し、代替の利かないオリジナルであり、アートなのだ。
そして何より、作品から発せられる想いは、受け手に新たな想いを想起させる。どんな想いが想起されるのかは、受け手それぞれで異なるだろう。私はこの作品を通じて、対話を繰り返し創りだされるアートに関心を持った。しかし人によっては――例えば、「在日」という言葉に特別な関心を持つ人は、この作品を私とはまったくちがう視点からみて、まったくちがう想いを抱くだろう。
それら十人十色に異なった想いをそれぞれが表出したら面白いのに、と私は思う。表出の手段は、「作品」でなくてもいい。言葉でいい。言葉として表出し、対話を通して研鑽され、新たな想いが生まれる。それがまた世に表出される。そんなサイクルができれば、もっと彩りにあふれた楽しい世の中になるんじゃないかなぁ、と私は思う。
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