MELC(長岡ゼミ)のブログ

オープン・スペース 2015での違う視え方

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試験もひと段落したところで、ずっと行きたかった「オープン・スペース 2015」に足を運んだ。「オープン・スペース 2015」はICCが主催の年度ごとに展示内容を変える展覧会だ。メディアアートの作品をはじめ多様化していくメディアやコミニュケーションのあり方を考えることを目指している。きっかけは6月に行われたHills Breakfastのゲストに現代アーティストのInomata Akiさんが登壇して、これまでのアート活動や作品についてPechakuchaしてたことだった。Inomataさんの作品はやどかりに3Dプリンターを使い住処となる宿を創った作品などあり、イベントの後に詳しく聞いて実際に観てみたくなった。そして、作品が展示されていたのが「オープン・スペース 2015」だ。Inomata Akiさんは社会の発信として、コントロールが効かない動物たちと創ることで人間の行動を動物に置き換え、新たな気づきをもたらすとしている。ヤドカリの作品は3Dプリンターでヤドカリの宿を世界の都市の形にしてヤドカリに引っ越すことで国や人種の境を越えることを表現されている。また中でも実際に観て印象的だったのが女性の着る服の一部をミノムシに与えてミノをつくる作品だ。ミノムシのメスは成虫になってもミノから出てこずにオスを待つという生態から女性の福の一部を利用してできた鮮やかなミノはひとが着飾るという意味をもう一度見つめ直させるメッセージが込められていた。実際に自分が着飾ることを考えたときに異性・同性からの意識や自分自身の表現と考えると毎日の着飾る時に自分が今日の気分や思いを意識して、考えて選ぶことは1日のはじまりを自ら創り出すのだと自分の中で気づきがあった。

img_Inter_Nature_Communication.jpg(実際にヤドカリが新たな宿を背負っている:撮影ができないため「ICC展示作品一覧」より)

「オープン・スペース 2015」では他にも多くのアーティストさんの作品があり、平川紀道さんの作品はとても圧倒された。作品は大きなスリーンに映し出された映像は飛び散る無数の点が一つの点に集まる。この中では時間ともに飛び散って広がる無数の点が不可逆な要素を持ち、映像を逆再生することで一点にもどるプロセスがみられる。ネットで何かを検索をした際に、その何かについて多くの情報が表示され、さらに情報が広がっていく。だが、その何かでなく違うモノを検索する際に先ほどまで無数に広がりを見せていたのがまた新たな検索のために空白の一点ににもどる。この作品を観て、日常の中で検索する行為や意味を可視化することにより情報の広がりだけでなく儚さも感じた。入力キーを打つことで世界を知れたときの瞬間と実際に自分が足を運んで世界を知れたときの瞬間とでは価値や自分の中での情報処理が違う。映像として映画やリフレクションムービーだけでなく目に見えない問題意識やコトを可視化することで観る側に大きな気づきがあることが自分にとって印象的であった。

img_knowns_unknowns_and_the_irreversible.jpg(平川紀道さんの映像作品には圧巻だった。:撮影ができないため「ICC展示作品一覧」より)

メディアのあり方がネットの普及により多様化して変わり続けている背景がよく読み取れる作品が多くあり、コミニュケーションのあり方について考えるが、何よりも自分が強く感じたのが今回の現代アートは古典派や印象派などの絵画げ術とは違い、定義があまり掴みにくい個人的に進んで足を運べずにいたが、Inomata Akiさんの作品の話を実際に聞き、また他のアーティストさんの作品を観て、社会に対してのアウトプットの土台となる問題意識やコトの重要性はもちろんのこと、日常の世界を違う視え方で常識を疑い、挑戦することで生まれるおもしろさだと思う。スマートフォンやタブレット端末が普及して、年齢問わずに世界に発信できる現代だからこそ多くの活動や作品が生まれる。土台となる問題意識や体験したコトを理解したうえで世界をおもしろくしていかきゃ、なにもはじまらないからという精神を持つ。

カテゴリー: テンパる 越境レポート

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