今期のゼミが始まって、もうすぐ3ヶ月になるところだ。僕は今年の4月から長岡ゼミの活動に参加しているが、参加する前と後では大きく変わったことがいくつかあると感じている。今回はその中でも僕の日常に大きく影響した、「コミュニケーションをする意志」について書きたいと思う。
「挨拶を礼儀と捉えるか、コミュニケーションする意志と捉えるか。」これは長岡先生がゼミ生に対して指摘した点だ。今年度からゼミ生の人数が18人と少し多くなり、ゼミの時間内に先生に挨拶をしにいかない人が出てきているという問題が起こっていた。なぜ挨拶をしないのか。ここではなにが問題なのか。僕は「皆が一度に挨拶には行けないし、時間が限られているじゃないか。」という意見がもっともだと思っていたが、問題はそこではなかった。挨拶が出来なかったら謝りましょうという話ではない。そもそもコミュニケーションをする意志はあるのかないのか、という点が問題だったと考えている。
よくゼミに参加してくれている田中さん以外はゼミ生。
「挨拶を礼儀と捉えるか、コミュニケーションする意志と捉えるか。」僕は今まで挨拶を礼儀だと捉えており、そのせいで挨拶をしないことはただ失礼なことだと思っていた。そのように考えるようになっていたのは、受け身的な知識一方向型の授業形式がそうさせていたのかもしれない。僕個人としては、小・中学校でのバスケットボールの経験から挨拶=礼儀だと思いこんでしまっていた。練習の日に体育館に行き、まずチームのコーチ・監督に挨拶するところから始まる。僕はこの初めの挨拶を機械的に、形式的にしていたなと振り返っている。なぜ形式的だったのか。僕はバスケットボールに真剣に取り組んでいたかというと、当時としては多少真剣に取り組んでいたかもしれないが、今思うとそれは本気ではなかった。本気で真剣に取り組んでいたならば、上手くなろうという気持ちが挨拶につながっていたのではないかと思う。そもそもコーチや監督に対して、コミュニケーションをする意志がなかったのかもしれない。僕は本気で真剣に取り組む姿勢が、挨拶を「コミュニケーションする意志」と捉えることに繋がっているのだと考えた。
今僕はFLEDGEというワークショップを理論と実践を行き来して学ぶ勉強会に参加しているが、ここでは強く、この「コミュニケーションする意志」が重要だなと感じる。
FLEDGEは4人一組のチームで実際にワークショップをつくり、実施するところまで行う。半年を一期としていて、僕は今年の4月から参加している。今月6月の勉強会は自分たちのやるワークショップのプレ実践を行った。チームで一つのワークショップをつくるので、そのワークショップに自分の意志が完全に反映されるわけではない。特に僕のチームにはワークショップのファシリテイターを経験しているメンバーがいたので、その人についつい引っ張られがちになってしまう。そういった中で、この一つのワークショップをどれだけ自分の中に落とし込めるかは、当日のファシリテートに大きく影響してくると感じた。ワークショップ実践当日は4人がそれぞれ最適な行動を取れれば、より良い場となるだろうと思っている。そのためにはお互いに対話を積極的にすることが重要だろうと思う。
FLEDGEではワークショップをつくる際に、ワークショップのメインとなる学習目標と活動目標を考えるコンセプト決めから始まるが、例えば僕が参加者に学びとってもらいたい学習目標を「仕事に対する固定概念を崩す、にしよう。」としても、なぜ仕事に対する固定概念を崩したいのか、なぜそう思ったのかなどの背景を他のメンバーにしっかり伝えきれないと、そのコンセプトの重要性は極端に言えば、自分ひとりにしかわからないかもしれないし、それはあまり重要ではないかもしれない。反対に、あるメンバーの考えたコンセプトに対して、どれだけ一緒になって考えられるかは、その人に対しての「コミュニケーションする意志」の有無で大きく変わると思う。それがないと「ふーん。」「へー。」「なるほどー。」だけで終わってしまうが、その意志があるなら自然と質問をしたり、自分の意見も言ってみたりするだろう。そうやって積極的な対話をしていけたら、そのコンセプトは良いものに仕上がっていくと思っている。
FLEDGE勉強会の様子。
自分に「コミュニケーションをする意志はあるか?」と問うてみる。なければ、挨拶は形式的になり、そこから対話に派生することはないのではないか。目の前の人が魅力的であったり、少しでも憧れるような存在だと思う気持ちは「コミュニケーションをする意志」の現れなのではないかと思う。それは、じぶんにとって刺激的な対話を生むと思っている。越境先で魅力的な人に出会ったら、その「コミュニケーションをする意志」に素直に従うことを忘れずに、積極的にコミュニケーションしていこう。
コメント