MELC(長岡ゼミ)のブログ

映画と体験を通して捉えた多様性:『聖者たちの食卓』とカレーキャラバンin川口

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5月2日土曜日、日差しが強くて半袖で十分な陽気。この日、埼玉県にある川口駅の駅前の交通量が多めの道の横にある広場、キュポ・ラ広場で行われたカレーキャラバンに立ち寄ってきた。これは慶応大学環境情報学部の加藤文俊先生が行っているプロジェクトのひとつだ。

わたしが住んでいる千葉から埼玉に行くのは小旅行の気分で、わたしは半袖のカレーキャラバンTシャツを着ていった。ロゴ入りのTシャツを地元の駅から来てくるのには勇気がいったと、この日わたしは会った人に口ではそう言っていたが、それは照れ隠しで、内心はノリノリ・わくわくで、家でアイロンをかけてから着ていった。

さてさて、準備です。

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この大きめの鍋に具材をいれていきます。

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カレーキャラバンリーダー木村亜維子さん。
通りかかった人が見たときに、何をしているかわかるように黒板を書き始めました。

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さらに書き進めます。

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その間、わたしはひたすらにカレーに入れるたまねぎを剥く。

S__10903562.jpg黒板完成!

 

11時ころに川口駅に到着したわたしは、駅前散策をした。歩道橋が駅をでてすぐの広場から四方に伸びており、その先には大型のデパートや市の施設があって栄えている印象で、生活に便利な駅だと思った。このときすでにキュポ・ラ広場には、カレーをつくる場所にテントが張られているのを見つけた。そこに行って何かしたかったので、たまねぎの皮を剥くことにした。風が強い日だったので、ゴミが飛ばないように箱の中にゴミ袋をセットして工夫した。ちょっとしたことだが、考えて動くことがたのしい時間だ。

わたしは12時に埼玉に住む友達と久しぶりに会う約束をしていたので、1時間ほどでこの場を立ち去ることにしていた。わたしはその友達にもカレーキャラバンにかかわってほしいと思い、テント集合と伝え、しばらくするとたまねぎの皮を剥くわたしのところにやってきて、着いて早々、最後の1つとなったたまねぎの皮剥きをしてもらった。何をしているか知らなくても、内容を理解していなくても、難しくてできないよということなく、急に関わることができるところに魅力を感じた。

この日のカレーキャラバンは、広場の横の大きな川口市の施設である川口メディアセブンにて、映画『聖者たちの食卓』の上映会とセットで、上映会に参加した人にカレーのチケットが配られ、カレーを食べることができるという企画だった。わたしはこの映画をずっと観たくてやっと観る機会までいたったため、たのしみにしてきた。映画上映の間はカレーをつくっている広場にいることはできないので、つぎにカレーを見るのは映画上映終了後だ。自分が見ていない時に何が起こるのか、たのしいことが起きる可能性があるな、と考えてると、広場が気になる。

 

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映画を観るために用意された室内は涼しく、外の日差しを少し忘れるような居心地。そこで映画を通してインドの人たちの暮らしを観る。こんなに簡単にインドの人たちの生活を観てしまってよいのかと不安になるほどの、快適さと映像への引き込まれ方だった。環境音が響いたり、時おりうたったり、音や音楽はあるが、映画にはセリフはないため、どんな気持ちでカレーをつくっているのかを語っている場面はない。

ナンが完成するまでの過程に関わっている人たちの動きについては、かたまりになっておいてあるナンの生地から手でひとつかみをもぎとり、それを手の平で丸めてそのままぽいっと放り投げる。放り投げたその先には、ナン生地を伸ばす人が麺棒を持って待ち構える。くっつかないように粉を敷きながらころころと麺棒を動かし、薄く丸くなった生地を、いままで伸ばしてきたナン生地の山の上にぽいっと重ねてゆく。

食材を運ぶのも、具を切るのも、カレーを煮込むための大きな釜を洗うのも、水を運ぶのも、みんなで行う。食堂は、大きな体育館のようなところにカーペットを敷いたところ。席はないので自由な場所に座り、みんなで食事をする。隣が誰になるのかはわからないが隣の人との距離はげんこつひとつ分ほどで、せまいように感じたが、不便そうではなかった。座っているところにカレーを配りに来てくれるのだが、カレーを配る姿はまるで打ち水をするかのように、水を注ぐのは腰の位置のやかんから、床に置いてあるおわんへどどどっと。おわんに入った量より、水の勢いに負けておわんにはじ返され外に飛び散った量の方が明らかに多い。はじめて目にする光景だったためわたしには食べ物の扱いに関して衝撃的だったが、一緒にその場にいる気持ちになっていたためか、郷に入っては郷に従おう、と腹をくくっているような自分がいた。

 

上映後、みんなでお待ちかねのカレーを食べに行く。思わず「みんな」と書いているが、この日に初めて会った人ばかりだし、むしろひとことも会話をしていない人の方が多いのに、わたしは「みんな」と表現している。同じ場所で映画を観たためなのか。普段、映画館で映画を観おわってもそうは思わない。この感覚がカレーキャバンなのだろうか。カレーをみんなで食べることでおいしく感じるし、映画とカレーが話しのきっかけにもなったり、カレーのこだわりについてやどうしてここに来たのかを聞いている人がいたり、いろんな人がいた。

川口に住んでいて会場が近かったから訪れたという小学5年生くらいの男の子とそのお母さんと少し話した。

「もともとこの映画に興味があって、6月に上映があるのを知ったんだけど、5月にもあることを知って。しかも今回はカレーを一緒に食べることができるっていうのを見たから、今日来たんです。思ってた内容とは違ったけどわたしはおもしろかったの。うちの子はどうかな〜。おもしろかった?」
「おもしろかった。特にカレーの食器を洗っているところ。」
食器の洗い場で多くの女性が一列になって食器を洗っていたのが印象深かったという話だった。この男の子は、映画を一番前の席で観ていたし、カレーもおいしそうに食べていて、初対面のわたしともたのしく思ったことを話していた。カレーキャラバンのたのしみ方を知っているように感じた。

この男の子とお母さんや、バイオリンのレッスンの帰りだったという小学6年生くらいの女の子とお母さん、津田沼からきたという50代くらいの男性、部活終わりの中学生3人組、など、この日の広場には多様な人が集まっている印象があった。わたしも川口に訪れたのははじめてで、例外ではなく多様性を生み出しているひとりだったのだと思う。

 

今回のカレーキャラバンでは、映画の内容と同じように、どこの誰なのかは詳しくはお互いわからない(そこにいた人もわたしを「どこの誰なのかは詳しくはわからない人」として見ているだろう)けど、その場に来た人と一緒にカレーを食べる体験をした。映画のコピーにある言葉の「大きな団欒」の一部というのはこういうことなのだろうと体感した。普段お店でごはんを食べるときには意識したことのない、家族の食卓とも違った「みんなで」「一緒に」「食べる」感覚だった。

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準備をはじめて間もない11時のキュポ・ラ広場

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カレーをつくっている真っ只中の14時前のキュポ・ラ広場

人は通るが、テントに近寄る人はあなりいないようだった。警戒しているのかもしれない。

S__10903556.jpg映画上映後15時30分のキュポ・ラ広場

人で賑わう。影の位置からだいぶ日が動いたことがわかる。

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カテゴリー: みきてぃ 越境レポート

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