学びをの場を自らつくることができる人を増やすことをひとつの目標としているワークショップデザインの勉強会であるFLEDGEの第一回勉強会が4月29日水曜日に行われた。半年を1期として活動していて、この日は11期メンバーの活動のはじまりだ。
前回わたしが書いたブログ、『場を整える:FLEDGE11期説明会・レゴでカフェをつくるワークショップ』でも触れたが、わたしは9期メンバーだったということもあり、この日は、11期メンバーでもなく、メンバーにアドバイスをしたり活動をともにするうえで頼れるディレクターでもない関わり方をすることにした。わたしがメンバーとして活動していたときに、ディレクターではないけど関わりが深くて、FLEDGEから一歩離れた人がいたらなと思っていたので、(説明会の準備に山根さんからお声がけいただいたこともきっかけとなり)今回はその役割を自分がやることにした(というか勝手にその役割として活動している)。組織の内部に入り入りすぎていない分、冷静に見ることができると思っているのと、ディレクターからの発言だと重すぎてしまうようなことを活動中のメンバーと話すことができるように思っている。FLEDGED(FLEDGE卒業生のこと)としてできることをしたいと思ったたため、このような関わり方をしている。
≫この日のパネルを書いたり、こうして写真を撮ったりすることもたのしい関わり方だと思ってやっている。
わたしにとってFLEDGEは、ワークショップデザインについて学ぶ環境として最高で、もっとよくしたいと思える場所である。そのため、たのしんでその日使う道具等の買い出しに行く。この日までの買い出しは、小道具としての虫眼鏡、三角帽子とポストイットとテーブルの上を片付けながら使えるようにするためのカゴだ。身の周りのものに小人が隠れているとしたら、どこでどんな活躍をしているのかを想像しならが行うフィールドワークである「隠れた仕事人ワークショップ」をすることになっていて、フィールドワークをするときに小人を見る(実際にはいないが、小人を想像する手助けとして)ための虫眼鏡と、フィールドワークから帰ってきてみんなに発表するときに自ら見つけてきた小人を演じるときに使う三角帽子が必要だった。ひとつひとつ選ぶことも、どんな場面で使うかを考えて活動しやすいようにするためにどうしたらいいのかを考えることがたのしいし、ワークショップに何らかの影響を与えてると思うとおもしろく感じる。
≫虫眼鏡を持って、小人を探しにフィールドワークに出かけます。これを通して、今期のテーマ「はたらく」について考える。
≫小人の気持ちになって実際に動いてみる。「このゴミ箱のふたをあけているのは小人なんだよ実は。よいしょーってやってるんだ。」
≫三角帽子をかぶって小人モードに入ります。フィールドワークから帰ってきていざ実演。
この日、言われたものを言われた通りに従って買ってきている人のように見えたのか、わたしのやっていることを”雑用”だと感じた人がいた。このことには驚いたし、困惑したし、ショックだったが、「たのしいからやる」の意味を問い直されたように感じた。その人が交通費をかけて時間を割いて集まってくること、”雑用なのにえらい”とわたしを褒めたのは、”無償で動く”ことに違和感を覚えたためだろう。労働に対して報酬を与えることが、会社の運営がされたり、アルバイトのモチベーションになったりすることのは想像できるし、わたし自身アルバイトはそうだが、報酬以外にも動く動機があるということをお伝えしたい。
最近読んでいる本の中には、『「課題に取り組むこと自体が、内発的報酬にあたる」という、「第三の」動機づけだ。(略)その喜び自体が、報酬だったというのだ。』(『モチベーション3.0持続する「やる気!」をいかに引き出すか』9〜10ページ引用)という一文がある。
時間とともにモチベーションの考え方が変化してきたようで、以下のような、過去を1.0、現在を2.0、未来を3.0とした場合の考え方がある。
モチベーション1.0 食欲、性欲などの生存を目的とするもの。
モチベーション2.0 仕事をすれば褒美(報酬)を与え、しなかったら罰を与える。アメとムチの世界。
モチベーション3.0 内面から湧き出るようなやる気。
今回のわたしに当てはめると、買い出しに行くこと自体が内発的報酬となっているのだと考える。買い出しに行って品物を選ぶことがおもしろいと思って取り組んでいるうちに、もっと活動しやすくしたいと思うようになって、それを考えることがたのしくて、それらがわたしを動かす力となっている。虫眼鏡を買いに行くのが苦痛の人もいるかもしれないが、サイズは?色は?どんなシチュエーションで使うのか?などを考えながら、どの虫眼鏡にしようかを真剣に悩むことが、わたしはたのしい。だからその役割をやる。外から与えられたことではなく、自分で見つけた課題や、わくわく感が原動力になっている。
長岡ゼミの捨てるものといえば「損得勘定、自己顕示欲、横並び意識」の3つで、この日のできごとは、長岡ゼミでよく言われてる「損得勘定」のこととも通じていると考える。自分にとって得だからやる、損をするからやらないということでは、きっと「たのしいからやる」という考えにはいたらなくて、モチベーション3.0の世界まで辿りつけないのではないかと思った。
報酬があるから動くでは遅いと思う。なぜなら、たのしいから動いている人の方がきっとはやいし、クオリティが高いと考えるし、そもそもやりたくない人にわざわざ報酬を払おうとは思わないと考えるからだ。学び合うコミュニティーには損得勘定があったら成り立たないように思う。
「なぜそれをやるの?」に対して「たのしいからだよ」と答えられるものは、内面からでてくるわくわくや直感的なたのしさと、そのことについて頭で考えることがたのしくて、損得関係なしに自分なりのたのしさを見いだせていることに言えることだと思った。
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