2015年4月25日 世田谷区にある、世田谷ものづくり学校にて行われた慶応大学水野研究室の成果報告会「デザインをめぐる問い」に足を運んだ。この世田谷ものづくり学校は廃校になった中学校をリノベーションし、クリエイターやデザイナーなどのオフィスとして再活用しているとても素敵な空間だ。駅から徒歩15分ほどと、近いようで近くない立地もどこか学校という場所を思い起こさせてくれる。学校内に入ってみると、まず外装の学校感あふれる感じと内装の整えられた綺麗さのギャップに驚いた。(学校内では撮影禁止だったので、写真を取ることができなかったが、ホームページをご覧いただくとよりイメージがつくだろう。(http://setagaya-school.net/about/guide-rental/))
歩いてみると、さすが元学校とでもいうべきか、教室がたくさんあり、なかなか目的の教室が見当たらない。廊下を歩きながら会場を探しつつ、オフィスとして貸し出されている様々な教室を眺めていると、パン屋さん、雑貨屋さん、パソコンが並んだオフィス等々、実に様々な種類の教室があり、とても興味深く面白い空間だなという印象をもった。様々な興味を引かれながら、廊下の突き当たりまで行くとそこが今回の目的の水野研究室の成果報告会の会場となっていた。
会場を目の前にして、私は教室へ足を踏み入れるのをためらってしまった。なぜなら教室内には迷彩柄のブルゾンやニット帽などが天井から吊るされており、「ここはどこかのブランドの展示会と間違えたかな・・・?」などと思ってしまったからである。おそるおそる受付の人に聞いてみると研究室の会場だ、と教えてくれたので一安心することができた。
そのまま会場内に入るとまず私の目を引いたものが壁に書かれた今回の展示会のテーマだった。
そのまま会場内に入るとまず私の目を引いたものが壁に書かれた今回の展示会のテーマだった。
使い捨てではなく、資源の持続可能性を問うデザイン。
見過ごされてきたが、よくできたモノの価値を問うデザイン。
遠い未来を推論し、人間とモノと社会の関係を問うデザイン。
このように3つの軸に沿った成果報告会だが、今回は特に印象的だった「使い捨てではなく、資源の持続可能性を問うデザイン」を中心に話を進めていきたい。
-洋裁2.0-deressing2.0-
私が最初に会場を勘違いしかけた「洋裁2.0」という服の展示品だが、これらの服には1つ特徴がある。ブルゾン、ニット帽、リュックが展示されているのだが、なぜか一緒にエアバッグやお店で使うのぼり、コンビニの制服が一緒に吊るされているのだ。
私が最初に会場を勘違いしかけた「洋裁2.0」という服の展示品だが、これらの服には1つ特徴がある。ブルゾン、ニット帽、リュックが展示されているのだが、なぜか一緒にエアバッグやお店で使うのぼり、コンビニの制服が一緒に吊るされているのだ。
この「洋裁2.0」は今までの消費の仕方である”買う・着る・捨てる”という流れを考え直し、”普通の人々”が新しく”作り直す・伝える・売る”という流れを模索するという研究なのだそうだ。私はその説明を見る前にその展示品に飛びついてしまったので、のぼりなどの意味ががわからず、研究室の方に「なんでこんなものが一緒に飾ってあるんですか?」と聞いてしまった。
すると、「このブルゾンやニット帽、リュックはのぼりやエアバッグを素材として作られているんですよ。」という答えが返ってきた。
聞くところによるとエアバッグはこれ以上ないくらいに精巧に作られてしまった結果、溶かすなどしてリサイクルすることが難しいため、エアバッグの素材を活かしたまま分解し、生地として用いてエアバッグ→リュックへと姿を変えたのだ。エアバッグを素材としているので見た目は真っ白で模様などはなにもなかったが、チャックなども付いており、十分に使えそうだ。
次にのぼりだが、のぼりも同様に捨てる以外の使い道がなく新商品やシーズンごとに毎回変える必要があるので捨てなければならない数も非常に多いらしく、いつも企業側も困っているのだそうだ。彼らはそこに注目し、のぼりの柄をうまく使い(展示品はのぼりに使われていた迷彩柄をうまく用いてブルゾンの模様として使っていた)、別の形へと変えた。触ってみるとのぼりに使われているポリエステルの素材感が感じられ、のぼりを生地として使っているためそんなに服自体の厚みもなく、今の時期も着やすそうな印象を受けた。
そして、実はニット帽に関しては、私たち自身が個人で作れるものなのだそうだ。会場の受付に置いてある服を解体するためのキットを使えば(多少の技術は必要だが)誰でも好きな素材を分解し、糸の状態に戻すことができ、それを紡いでいけばニット帽が完成する。実際に展示されていたニット帽はそのように作られてると教えてくれた。
これらの服はサスティナブルをテーマとした展示品だが、見た目はどこかのブランドショップに置いてあったとしても全く遜色のなく(そもそも最初にブランドの展示会と勘違いしてしまったくらい)、それほどにデザインが洗練されていた。人が日常的に使うということを考えると非常に重要な点である。デザインというと「かっこいいもの」というようなイメージを持ってしまいがちだが、それだけではなくデザインの他にもそのほかの意味付けをしているところに私はかっこよさを感じた。
すると、「このブルゾンやニット帽、リュックはのぼりやエアバッグを素材として作られているんですよ。」という答えが返ってきた。
聞くところによるとエアバッグはこれ以上ないくらいに精巧に作られてしまった結果、溶かすなどしてリサイクルすることが難しいため、エアバッグの素材を活かしたまま分解し、生地として用いてエアバッグ→リュックへと姿を変えたのだ。エアバッグを素材としているので見た目は真っ白で模様などはなにもなかったが、チャックなども付いており、十分に使えそうだ。
次にのぼりだが、のぼりも同様に捨てる以外の使い道がなく新商品やシーズンごとに毎回変える必要があるので捨てなければならない数も非常に多いらしく、いつも企業側も困っているのだそうだ。彼らはそこに注目し、のぼりの柄をうまく使い(展示品はのぼりに使われていた迷彩柄をうまく用いてブルゾンの模様として使っていた)、別の形へと変えた。触ってみるとのぼりに使われているポリエステルの素材感が感じられ、のぼりを生地として使っているためそんなに服自体の厚みもなく、今の時期も着やすそうな印象を受けた。
そして、実はニット帽に関しては、私たち自身が個人で作れるものなのだそうだ。会場の受付に置いてある服を解体するためのキットを使えば(多少の技術は必要だが)誰でも好きな素材を分解し、糸の状態に戻すことができ、それを紡いでいけばニット帽が完成する。実際に展示されていたニット帽はそのように作られてると教えてくれた。
これらの服はサスティナブルをテーマとした展示品だが、見た目はどこかのブランドショップに置いてあったとしても全く遜色のなく(そもそも最初にブランドの展示会と勘違いしてしまったくらい)、それほどにデザインが洗練されていた。人が日常的に使うということを考えると非常に重要な点である。デザインというと「かっこいいもの」というようなイメージを持ってしまいがちだが、それだけではなくデザインの他にもそのほかの意味付けをしているところに私はかっこよさを感じた。
-服を作る普通の人々-
△生地のたくさん揃う日暮里や高円寺、御徒町の他にも
最新技術を提供するお店などの写真も飾られていた。
最新技術を提供するお店などの写真も飾られていた。
このフィールドワークでは洋裁や服飾の専門家ではなく、主に服作りを個人で行う”普通の人々”に焦点が当てられていた。衣装を作るお母さんたち、コスプレをするために自分たちで衣装を手がけるコスプレイヤーなど様々な人たちの日常が切り取られている。彼女たちは普段からプライベートで服を作っている人たちだ。日暮里では、ダンス教室に通う子供や自分自身のために衣装を作るために必要な生地を求めてやってくるお母さんがたが多いらしく、日暮里と衣装を必要とするような習い事は切っても切れない関係らしい。
デザインフェスティバルは半年に1度ほどの頻度で開催され、個人が作った多種多少な服飾品がところ狭しに並んでおり、毎回たくさんの出店者やお客さんが集まるようだ。そこに訪れるお客さんは普通の既製服では物足りず、個人だからこそ作れる、言わば好き放題にやれるようなド派手なものを求めてやってくる人も多いようで、そんな服を目の前に作り手さんとお客さんがしゃべっている写真が印象的だった。
他にも高円寺には商品を卸すだけでなく、店員さんが既製服を自分の手で改造してから商品として販売するユニークなお店があったり、渋谷の無印良品やfab-labなどのような自分オリジナルの服が作れたり、3Dプリンターを使ってオリジナルの服に加工できたりする施設などの写真もあった。オタクと呼ばれる人の中にはこれらの最新技術を駆使して、自分の好きなキャラクターなどをTシャツにプリントしてオリジナルの服を作り上げる人も実際にいるという。
これらの示すものは既製服を買うだけでなく、オートクチュール的に自分の意思を反映した服作りの基盤ができつつあるということなのではないかと思っている。必ずしも自分一人で行うのではなく、お店に行ってプリントをする、fab-labのように服作りに携わる人が多い場所にいって話を聞いてみたり手伝ってもらうなど様々なやり方が考えられる。つまり、”普通の人々”が今まで任せきりになっていた洋裁や服飾という分野に介入するための扉が開かれたということができるのではないだろうか。
-私たちが持続可能な取り組みに加わる-
デザインフェスティバルは半年に1度ほどの頻度で開催され、個人が作った多種多少な服飾品がところ狭しに並んでおり、毎回たくさんの出店者やお客さんが集まるようだ。そこに訪れるお客さんは普通の既製服では物足りず、個人だからこそ作れる、言わば好き放題にやれるようなド派手なものを求めてやってくる人も多いようで、そんな服を目の前に作り手さんとお客さんがしゃべっている写真が印象的だった。
他にも高円寺には商品を卸すだけでなく、店員さんが既製服を自分の手で改造してから商品として販売するユニークなお店があったり、渋谷の無印良品やfab-labなどのような自分オリジナルの服が作れたり、3Dプリンターを使ってオリジナルの服に加工できたりする施設などの写真もあった。オタクと呼ばれる人の中にはこれらの最新技術を駆使して、自分の好きなキャラクターなどをTシャツにプリントしてオリジナルの服を作り上げる人も実際にいるという。
これらの示すものは既製服を買うだけでなく、オートクチュール的に自分の意思を反映した服作りの基盤ができつつあるということなのではないかと思っている。必ずしも自分一人で行うのではなく、お店に行ってプリントをする、fab-labのように服作りに携わる人が多い場所にいって話を聞いてみたり手伝ってもらうなど様々なやり方が考えられる。つまり、”普通の人々”が今まで任せきりになっていた洋裁や服飾という分野に介入するための扉が開かれたということができるのではないだろうか。
-私たちが持続可能な取り組みに加わる-
今回成果発表会に足を運んで、服は”買う”だけでなく”作って着る”という考え方に触れることができた。服というとやはり”買う”というイメージが強いように思う。服飾の専門家に任せ、それを着ればいいという考え方だ。ここで考えなければならないことが、買って着たあとにもう1ステップあるということだ。そう、”捨てる”というステップである。
最近では低価格でファッショナブルなファストファッションが流行り、1シーズン着たら捨ててしまうということが多くあるそうだ。それはいいのだろうか、と私は疑問に思ってしまう。まだ使えるものを”流行りじゃないから”などと捨ててしまうのではあまりにも服がかわいそうだ。仮にそれを古着屋などで売ったり、友人に譲ったりすれば服の寿命を伸ばすことができるのに・・・・。
それとは別の方法を模索したのが今回の「洋裁2.0」であり、”加工する”という考え方を示してくれた。このようなサスティナブルな取り組みは私たち”普通の人々”が取り組むからこそ意味があるのだと思う。いくら企業が持続可能な取り組みを進めようともそれを消費する私たちがそのやり方に乗っ取らなければその動きは一時的なものになってしまうだろう。しかし、義務のように”持続可能”という言葉にとりつかれるのではなく、最新技術などを使いながら自分のできる範囲でゆるりと楽しみながら服と関わっていくことが一番持続する良い関わり方なのではないかなと、服との関わり方を考えることができた1日だった。
最近では低価格でファッショナブルなファストファッションが流行り、1シーズン着たら捨ててしまうということが多くあるそうだ。それはいいのだろうか、と私は疑問に思ってしまう。まだ使えるものを”流行りじゃないから”などと捨ててしまうのではあまりにも服がかわいそうだ。仮にそれを古着屋などで売ったり、友人に譲ったりすれば服の寿命を伸ばすことができるのに・・・・。
それとは別の方法を模索したのが今回の「洋裁2.0」であり、”加工する”という考え方を示してくれた。このようなサスティナブルな取り組みは私たち”普通の人々”が取り組むからこそ意味があるのだと思う。いくら企業が持続可能な取り組みを進めようともそれを消費する私たちがそのやり方に乗っ取らなければその動きは一時的なものになってしまうだろう。しかし、義務のように”持続可能”という言葉にとりつかれるのではなく、最新技術などを使いながら自分のできる範囲でゆるりと楽しみながら服と関わっていくことが一番持続する良い関わり方なのではないかなと、服との関わり方を考えることができた1日だった。
コメント