11月20日、阿佐ヶ谷から高円寺にかけて散歩したときにたまたま畳屋さんに入ったときの話。 閑静な住宅街で、野球のユニフォームが干してあったり、 交通標識や自転車の前かごのところに小さい子が座る椅子がついていたりすることから、子供が多い街なのではと思った。地図によれば近くに小学校があるようだ。
≫交通標識を見てその場所に生活している人を想像した。
その街をゆっくり歩いていると、大きな機材と大きなござが広げてある、ファンが回っている音がする家の前を通りすぎた。一旦はそのまま通りすぎたのだが、なんとなく気になって3歩くらいで引き返し、中にいる人に声をかけてみた。
中に入ると、外ではしなかったい草の香りがした。「畳を作っているんですよ。見た事ないでしょ。畳の端はこうやって手で縫うんだよ。太い針とタコ糸みたいな糸をこう使ってね。」とやってみせてくれた。代々畳を作っている家系とのことで、畳を作る光景は珍しいものではなかったという。わたしが気になったのは畳屋だったのだ。
それにしてもかなり気さくな方だ。職人と呼ばれる人たちは無口で黙々と作業しているイメージがあったのだが、こうして話すことが好きな人もいるのかと認識が変わった。「この辺の精肉屋とか八百屋とか、わたしのところもそうだけど、小学校の課外活動の受け入れをしているんです。だからやっていることを説明する機会がある。」丁寧でわかりやすい説明をしてくれたご主人のおかげで、小学生の気分に戻って素直に話を聞いていた。
≫気になった畳屋。店構えは周りにある家と馴染んでいて特別に目立つわけではない。
これが見たい!というわけではないが、なんとなく戻ってまでみたくなるような場所だった。
思うがままに歩けるのが散歩のたのしみにも思える。
「単品で見る畳、大きく見えますね〜!」
「ところでどれが畳だか知ってる?」
「この緑の部分ですよね。」
「それはござだよ。畳はその下の厚い板の方。みんな意外と知らないよね。畳にござをくっつけて家に届く畳になるんだ。」
会話が弾んでたのしい時間だった。ご主人は、畳屋の仕事のことをわたしにシェアしてくれたように感じた。話しても意味ないでしょ、と言わずに畳のことを知らない人でもわかるようにと一生懸命言葉を選んで話してくれていたのがうれしかった。お互いオープンなマインドで話せたからたのしかったのだと思う。店を出るときに、「正月飾りになるよ。」と、切り落としたい草の端っこをくるくる丸めて渡してくれた。
(↑)切り落としたござの端を、
畳屋を出てから高円寺に向かって歩いていく間、気分がすっきりとしていた。双方向のコミュニケーションができたのではと考えていたからだ。 畳屋のご主人と仲良く話せたことで、街に対する親近感が一気にわいた。これも未知の世界に飛び込んだ経験のひとつとなった。畳が対話するときのツールとなって、たまたま話しかけた人とコミュニケーションがとれたと解釈した。ワークショップ用のツールを使うから対話がうまくできるとどこかで思っていたため、ワークショップでなく日常にも”ツール”はあるということに気がついた。
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