MELC(長岡ゼミ)のブログ

"人とのつながり"が仕事をつくる。固有名詞のコミュニケーションをするために。〜映画業界トークイベントから考えたこと〜

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10月23日から主に六本木の会場で行われている東京国際映画祭(http://2014.tiff-jp.net/ja/)のイベントの1つである、学生応援団主催 トークイベント 映画のミカタ『いざ、映画業界!』に29日に参加してきました。登壇者は映画業界でお仕事をされている3名で、トークを参加者(主に学生)全体に向けてみせる形態です。もともと映画が好きな私は映画業界の人の生の声をききたい、と思い参加するにあたりました。

今回の登壇者の1人である犬童一心監督が映画を撮るまでのお話は非常に興味深く、考えさせれました。犬童監督は、映画監督として私は存知あげておりましたが、元々CMプランナーのお仕事をされており、いまも広告会社の1社員だそうです。学生時代に映画を自主制作していたものの、就職後は仕事でCMをつくり、映画を仕事にしようとは思っていなかったそうです(というのも、映画でお金を稼げない。。と理解していたからだそう)しかし、CMの仕事を続けながら、自主映画で撮ったものがたまたま、その頃CM業界から映画業界へと名を馳せていた市川準さんに目が止まり、「これは公開しなければならない」と感じた市川さんからそれまで面識のなかった犬童監督へと直接電話がかかってきて、その映画はトントン拍子で新人賞を受賞するに至りました。その後、犬童監督は市川さんから「大阪物語(映画)の脚本を書いてくれないか」といわれ、それまで書いたことのない脚本を書くことになり、「映画を撮ってくれ」といわれ、映画監督になったそうです。

犬童監督は「それまで脚本なんて書いたこともないよ。でも、天皇陛下(市川さんは広告業界では天皇陛下的存在だったと語っていた)に頼まれたら断れないよ。やるしかない。」と語っていました。「自分をひきあげてくれた人がいるからいま自分は監督をしている。市川さんみたいな、周りの評価とかを気にせず”俺がいいと思ったんだから、お前やれよ”と声をかけてくれる存在がいるかどうかはでかい」と犬童監督はおっしゃいました。自信なんかなくても、その人にいわれたらやるしかないと気がしてくるんだ、と。その頃無名であった犬童監督に、突然自分の次回作である脚本の依頼をした市川さんは、周りの評価を気にせず、一本の自主映画をみただけで犬童監督に脚本を任せることにしたのです。そこには損得勘定もなにもない、いいと思ったものをやる、の単純な部分だと思います。しかし、それができるかどうかはとても大きいと感じました。もし、犬童監督が作った脚本がうまくいかず失敗したらどうなったでしょうか。やっぱり、無名の人に頼むからだよ、と周りに批判をされていたと思います。逆に、周りの人に評価されている人に頼んでいれば、失敗してもみんながいいと思ったのだから、と責任を免れることができます。しかし、市川さんは無名の犬童監督を周りを気にせずに、自分の感覚を信じて責任を全ておう上で頼まれました。やったことがなくても、市川さんを信じてやりとげ成果をのこした犬童監督も、自分のいいと思ったものを信じて犬童監督に任せた市川さんにも感動しました。損得勘定のない信頼関係が面白いコラボレーションが生んだのだと思います。

このお2人の間にあるコミュニケーションは確実に固有名詞なはずです。誰でもない、その頃、天皇陛下のように尊敬していた”市川さん”に頼まれたのだから犬童監督は仕事を引き受けたのでしょうし、自分が面白いと感じた自主映画を撮った”犬童さん”だからこそ無名でも市川さんは仕事を頼んだのだと思います。映画業界で名を馳せている誰か、でも、CM業界で自主映画を撮っている誰か、でもありません。個人と個人のつながりで映画の仕事はできているのだと思いました。映画に関わるお仕事、というと、配給会社や映画館など表だった部分以外はどこか謎につつまれていて、なんとなくコネの世界なのかな?と感じていました。この”コネクション”という言葉が今回のイベントを通して、悪いイメージをもっていたことが誤解だとわかりました。むしろ、個人名で仕事に呼ばれるコネクションをつくれる人でないと、やっていけない気がします。日々の仕事の成果はもちろん、人とのコミュニケーションの仕方や振る舞いで、”この人に仕事を頼もう”、”この人と仕事がしたい”の固有名詞のコミュニケーションこそが、面白い成果につながると感じました。

映画の仕事だけでなく、普段の自分に活動でも、面白いものをつくろう、いいものをつくろう、とした時、誰とやるかを考えてみるとそこには〇〇な誰か、ではなく具体的なつながりをもつ人物が浮かびます。あるいは〜が出来る人、〜に興味がある人、といって特徴をもつ存在です。長岡ゼミでもでいわれていた、マス的なコミュニケーションと個人に声をかける固有名詞なコミュニケーションの違いをようやく理解できた気がします。自分の振る舞いを改めてふりかえってみると、自分のコミュニケーションの仕方は、カテゴリーにわけられた人(先生やゼミ生、クラスの友達、サークルの友達など)としてマス的なコミュニケーションの取り方をしていた部分が多かったな、と思います。そのグループにいる誰でも同じようなコミュニケーションの仕方をしていました。それでは、深い個人と個人の”人とのつながり”を作れる気がしません。しかし、何かイベントに誘うときは、「〜にいかない?」と具体的な人に個別で声をかける自分もいました。それが固有名詞のコミュニケーションをとっていた瞬間なのだと思います。その瞬間をするべきときにできていなかった自分は、コミュニケーションをないがしろにし、結果的にその先にいた相手をないがしろにしてしまっていたのだと思います。 自分も誰かにとって、声をかけてもらえる存在になるために、自分自身から固有名詞でするコミュニケーションをとり、人とのつながりを大切にする人でありたいと思いました。それが創造的なコラボレーションへつながり、面白い成果につながる気がしています。今回のイベントを通して、映画業界の仕事の話だけでなく、”人とのつながり”やコミュニケーションについて問い直す機会となりました。固有名詞で呼ばれる存在を目指そうと思います。

 

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カテゴリー: ふじこ 越境レポート

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