MELC(長岡ゼミ)のブログ

越境に必要なのは"ハラハラ"感

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7/19の昼下がりに人生2回目の目黒へ。『Playful summer fes.2014 -プレイフルな学びの未来をつくる-』を体感しに会場であるHUBTokyoに足を運んだ。イベントの内容は、ひとつ前の大城が書いたブログ記事の「Playful Summer Fes. 2014 場を巻き込むプレゼンテーション」に書かれているのでそちらを参照してほしい。
はじめて行ったHUBTokyoなのに、わたしはちょっとだけホームの感覚を得た。なんだろう。

IMG_0557[2].JPG▲HUBTokyo入り口。入ってすぐに受付が設置され、受付とフロアの境はなく、
参加者に誰がいるかを見渡したくなる感じがした。

今までの越境先で出会った人だったり、カフェゼミに来てくれた人だったりと、一度はお会いしたことのある方が何人かいて、何回か主催のイベントに参加させてもらっているためお互い顔や名前を知っている同志社大学上田ゼミの学生、GirlsBandの人たちがいて、まったく知らない場所ではないような気がした。

建物の構造も、隣のコワーキングスペースで仕事している人の雰囲気もわからない”まったく知らない場所”にいても、ちらほら知っている顔を見るとどこか安心して自分も話していい場所なんだ、という気持ちになった。ホームとまではいかないが、完全アウェイではない環境だ。

IMG_0563[1].JPG▲フロア後ろで名前シールを書いて身に着ける。
この名前を見て、名前で呼べたり、コミュニケーションをとれたり、
どこかで会ったことがある人だな・・・名前さえ思い出せれば・・・あ!やっぱりこの人知ってる人だ、
と記憶と照らし合わせたりしていた。
きっとわたしのことを思い出せなくてこんな風に思っていた人もいるような気がする。 

たくさんの参加者の中で、わたしの知っている人がわたしの知らない人と話しているところを当然のことながらいたるところで見た。たまたま会話している横を通ると、その会話に入れてくれたり、話をすっとわたしに振ってアシストをしてくれたり、普段の越境先での倍近くの方とお話できたと思う。
はじめて行ったまったく知らない場所なのに、見たことのある顔に会うと安心からか、場の雰囲気は自分にとって居心地の良いものとなり、自分も話をしていい場所なのだと感じ、自分から話しかけることができた。つまり、知っている顔をハブに初対面の人と話をすると、初対面の人と自分だけの空間に生まれる"ハラハラ"の感覚が軽減されることに気がついた。興味のあることや、もっとこうしたいということを、自分も、自分と初対面の人も、お互いに抵抗なく話せるような気がした。

しかし、この居心地の良さは本当に良いものなのか。今回は、会場にいる人が”越境のスタンス”を理解している人が多かったからか、なれなれしい居心地の良さではなかったので問題はないと思うが、”越境のスタンス”について理解していない人の集まった越境先に行ったときに”居心地が良い”と思ったら越境している意味がなくなったときなのではないかと考えた。

越境には、どうしたらよいのか、どのような振る舞いをすればいいのか、どこに自分はいたらよいのだろうか、という"ハラハラ"する感覚が必要だと思う。この感覚は”ひとりで未知の世界に飛び込んだ”ときにわかるものだと今までを通して感じていて、”ハラハラ”は、質の良い越境に関係していると思った。

また、どこか苦手だと思っていたローコンテクストなコラボレーションだが、越境したらそれが必要だし、苦手ながらなんとかやってきて、意外と”ハラハラ”するのは苦手なだけで嫌いじゃないことが、このブログ記事を書いていてわかった。ひとりで未知の世界に飛び込むたのしさが少しわかってきたのかもしれないな。

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カテゴリー: みきてぃ 越境レポート

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