7月6日(日)、株式会社内田洋行東京ユビキタス協創CANVASでMALLのイベントが行われた。今回は、MALL理事の田中潤さんが主催するラボであるsMALLという形式のもので、『sMALL 内定時期というトランジションを考える』というテーマで行われた。この会の応募フォームの最後の記入欄に、「大学は学校生活の出口か、社会の入口か、どちらだと考えますか」という事前の問いがあった。この時、わたしは「学校生活の出口」だと考えた。今まで学校に守られている空間しか知らない温室育ちのわたしが、その空間からいきなり社会へと活動の場が移り変わったら、社会に出ることに大きな壁を感じるし、“社会人の仲間入り”というか“社会に出る”というイメージを持っていたからだ。
▲参加者全員分の事前の意見が壁に掲示されている。
考え方は人それぞれで、この会場に可視化された考えの数だけの人がいると思うとたのしみな場だ。
当日もこの問いからはじまった。この日は6人のプレゼンターがいて、企業側の視点、大学教員側の視点、大学生の視点と、プレゼンター各々の立場からの考えを聞いた。半分のプレゼンが終わったところでテーブルごとに、みんな自分の立場からはどう考えるのか、どう見えたのかを真剣に考えながら対話をする時間があった。開口一番、わたしはこう聞かれた。
「学生さんから見てどうなの?」
今までの越境先と雰囲気が違った。確かにわたしは“学生さん”だ。“学生さん”だから何なのだろう。企業側の調査のような質問に驚いた。プレゼンがキーノートになっていて、それについて自分の思ったことを話したり、共有したりする場のはずだ。もしかしたら、わたしが“学生さん”だから発言しにくいだろうと気を遣ってパスを投げてくれたのかもしれないが、それにしてもなんだかちょっとよそよそしいと感じた。要するに、同等に対話をするというより、"学生さん"として扱われていたような気がするし、会場が何となく立場の違いを際立たせるような雰囲気だったとも思う。わたしも少なからず、「学生っぽいこと言わないとだめなのかな」「この人は人事部の人だから、表向きの顔を保っておこう」などと変に意識してしまい、目の前で話している人にフィルターをかけてしまっていたし、わたし自身一歩引いてしまっていた、と振り返って思う。
昨年のゼミで、ゼミ生の宮田が“肩書きバリア”という話をしていた。これは、肩書きによってその人の本質が見えなくなったり、その人の言わんとしていることが肩書きのフィルターがかかって伝わりきらなかったりすることのことだ。この日の場は全員に"肩書きバリア"があった。真剣な話ができている場なのに、フィルターがあるが故の違和感があった。社会人の人が名刺交換をするのはマナーであることは承知しているが、今日この場で名刺の肩書きを見ることで、その人の普段の仕事場がちらついてしまい、人や話の本質がくもってしまうようにわたしには思えた。
この雰囲気をつくっているのは誰かのせいとかではなくて、振る舞いの問題だと感じた。名刺交換をして肩書きバリアをがっちりつくって、自分たちで自分たちが素直に話せないような場をつくってしまっていたのだ。場の雰囲気は、ありのままの意見が言えるか、立場を意識しないような対話など、話の内容に直結していることを肌で感じた。最近は場づくりに興味があり、先日のブログにも書いたように、よりたのしく、よりクリエイティブな場をつくるためのツールの重要性に気が付いた。これに加えて、今回気づいたのは、凝ったツールがなくても、個人の振る舞いは、よりよい場づくりにおいて重要な役割を担っていて、よりたのしく、よりクリエイティブな、活動しやすい場を自作自演でつくることができると考える。
▼対話をする場にしては照明が明るすぎたような気がするが、
個人がその場でどのように振る舞っているのかが場の雰囲気につながっていると思う。
コメント