MELC(長岡ゼミ)のブログ

「忘れないということ」―東北を訪れて―

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2011年3月11日14時46分、東日本大震災が起こりました。その日からもうすぐ3年。このタイミングで、私は初めて「被災地」と言われる場所を訪れました。


東日本大震災の復興を支援している公益社団法人助け合いジャパンが主催しているきっかけバス47に参加しました。「きっかけバス47」とは、東日本大震災から3年が経つ今、「風化」と「風評」に苦しむ東北にもう一度、日本中に復興の「旋風」を巻き起こすため、47都道府県から一台ずつ、合計47台のボランティアバスで2000人の学生が岩手県・宮城県・福島県の東北三県を訪れるプロジェクトです。(きっかけバスサイトより引用)


私が参加したのは、きっかけバス47の埼玉バスです。3月1日~4日のプログラムで、1日の夜に出発し、2日の朝に宮城県の南三陸に到着しました。そこで初めに見たのは、津波によりほとんど鉄骨のみとなった防災対策庁舎です。周りの建物は流されたり、すでに撤去されたりしていて、草の茂った土地が広がっていました。それがまた、この防災対策庁舎の存在感を引き立たせていて、目にしたときは頭がフリーズしてしまうほどのインパクトでした。この建物は見ての通り3階建です。それを越すほどの津波が押し寄せたのです。こうして文字として「3階建の建物を越えるほどの津波」と言われても実感が湧かないかもしれません。実際私も訪れる前はそうでした。ですが、訪れてみて建物を目の前にし、下の写真の左側にある海から自分の背を遥かに越える津波が人や物などいろんなものを巻き込んで、右のずっと遠くまで流れて行く、ということを想像してみて、3年前の恐ろしさを恥ずかしながらその時やっと実感しました。私は現地に行ってやっと実感できましたが、この実感は感じようとしていなかっただけで、自分の住む土地でも感じられると思います。近所にある3階建の建物を越える津波が襲ってくるということを想像してみて下さい。それだけでも、とてつもないことが起きたと、きっと感じることはできるはずです。

東北1

▲宮城県本吉郡南三陸町の防災対策庁舎。津波により壁は全て流され、鉄骨も折れ曲がっているところがある。


その後、気仙沼の小泉地区でヘドロの中から、津波によって埋まってしまった鉄骨や生活用品などを探すボランティアを行いました。この場所はまだあまり手が付けられていない場所で、もしかしたらそこに住んでいた方も泥の下にいるかもしれないという状況でした。今回の捜索ではジャケットや写真、靴下などが出てきました。それは私の家にもあるようなものばかりで、今は何もないその場所に、ちゃんと生活が存在していたというリアルさが伝わってきました。




夜には、津波で店舗を流された飲食業の方々が開業・運営をしている仮設店舗の「復興屋台村 気仙沼横丁」に入っている、はまらん家というお店で晩御飯を食べました。このお店、料理がおいしいことはもちろんですが、お店のおかみさんがとってもいい人なんです!料理を注文した後も「ちょっと待っててね!すぐできるからね!」とこちらに声を掛けてくれたり、「はい、ごはん大盛りにしといたよ!」とサービスしてくれたりと、なんだか心の距離が近くてほっこりするなと思いました。店員さんとお客さんではなく、まるでオカンのように親しみを感じてしまうほどとても温かい方でした。ですが、とても素敵なこのおかみさんも震災前に営んでいたお店を津波によって失っています。そんな背景を持ちながら、とても明るく、進んでいこうという前向きな姿勢にボランティアとして来た私たちの方が励まされた気がします。そして、おかみさんが最後に私たちにお願いがあると仰って、こう続けました。「今回東北に来ていろんなものを見たと思う。それを忘れないで欲しい。そんで、地元に持って帰って伝えて欲しい。」と。

東北2

▲「復興屋台村 気仙沼横丁」のはまらん家のおかみさん。店名のはまらんとは、このお店オリジナルの気仙沼料理「はまらん焼」でお好み焼きに似たもの料理。


このプログラムでは、他にも現地の被災された語り部の方々のお話を聞き、震災直後の写真や津波で壊された家の破片や家具などを集めて展示している美術館を見学したり、それらを通してダイアローグをしたりしました。このきっかけバスを通して、東北の方々とお話しする機会が何度かあり、皆さんが口をそろえて言うことは、

「忘れないで欲しい」

「伝えて欲しい」

「同じ災難を繰り返さないで欲しい」

というこどでした。


その中で、「忘れないこと」が大切だということについては、東北に入る前から同じバスに乗る東北を訪れたことのある子に少し聞いていました。ですが、私はその「忘れないということ」がどういうことか分かりませんでした。現地の方々はつらい思いをして、忘れたいこと・忘れられないこと・忘れちゃいけないこと、それぞれがきっとあります。それをよそ者の私たちがどれをどう「忘れない」ようにすればいいのか分からなかったのです。なので、そのことを考えながらこの4日間を過ごし、現地の方の話を聞きながら自分なりに出した答えがあります。


「忘れないということ」

私は今回初めて東北を訪れたので、震災後の東北しか知りません。でも、そこにはもともと街があって、人々がいて、当たり前の生活がありました。その後、東日本大震災が起こり、予想を遥かに越える規模の津波、それに伴う火災などの2次災害が起こり、多くの人や家が流され、壊されました。今は、散乱していた家などのほとんどが撤去されて何もなくなりました。人々は心に深い傷を負い、まだ立ち直れない人もいます。でも、その一方で自分たちでどうにかしなきゃと立ち上がっている人もいます。東北のために何かしたいと東北にやって来た人もたくさんいます。そうして、活気を取り戻そうとしている街があります。一度は壊された建物も、再生していろんな人が街を行きかう未来があります。

東北3▲左上から震災前の陸前高田の海岸、駅前の道路、震災後の街。左下は現在の陸前高田、高田大隅つどいの丘商店街、子ども達の屋内の遊び場として運営されているインドアパーク。そこで遊ぶ子供によって書かれた「ふくしまけんがなおりますように」という文字。


これら全て、一部だけではなく全てをひっくるめて「気に留めておく」ということが「忘れないということ」なのではないでしょうか。四六時中は無理でも、ふとした時に「あのお店のおかみさん元気かな」と思いだすことじゃないかなと思います。そうした些細なことが次の一歩につながる原動力へとなるはずです。



そして、一番私が伝えたいのは、東北という土地がとても素敵でそこに住む方々が、皆さんすごく温かいということです。そんな温かさに触れに皆さんにも是非東北に訪れて欲しいなと思います。

 


カテゴリー: Sarah 越境レポート

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