MELC(長岡ゼミ)のブログ

「自分との出会い」(5/9プレゼンの話)

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先日5月9日(木)「ぺちゃくちゃMelc」にて、今後の活動についてのプレゼンをさせていただきました。今回のプレゼンはぺちゃくちゃ方式といって、20枚のスライド1枚につき20秒、計400秒の中でしかしゃべれないという、とても制限のある中、発表しました。そのお話をもう一度ここで、より詳しく文章化してお伝えしたいと思います。プレゼンの時に使ったスライドも合わせてご覧になってみてください。ちなみに、プレゼンの目次では4項目となっていましたが、ブログという制限のない場所なのでちょっぴり項目を足したり、変えたりしていきますのでご了承ください。

プレゼンスライド:https://docs.google.com/file/d/0B_OZPi7B2UhUZXY1S0lQcm1UVlk/edit?pli=1

 


 

ーーーーーー2年前の秋頃から、越境し始めました。雲の上の人なんじゃないかと思う位すごい方にもお会いしたし(私のことを憶えてくださっているかどうかは置いておいて。)、具体的に何人にお会いしたかはわからないものの、相当大きな数の方々との"出会い"に直面することができた。では、私にとって越境とはなんだったのでしょう。それは内なる自分の声との"出会い"だった。そんな私の内なる声を物語りながら、今後の活動のスタンスを知ってもらえたら、と思う。

自分との出会い①「私、おどります。

かんじきダンスに参加してから「ダンスで集う可能性」を本気で感じていた。ダンスで集うことになにか重要なことが隠れている気がして。そんなふうにモヤっとした気持ちをかかえ、一昨年の合宿後、「踊りたい!」という自分に出会った。最終的にその思いをマイプロジェクト「Party Dance Project」とし、ダンスの場を考えるワークショップを仲間ダンサーに手伝ってもらいながら、やってみた。1から何かを作り上げるという経験もすることができたことはとても貴重だったと思う。(過去記事に当時の思いや感じたことが、つらつらと書かれてます。コチラ➡http://www.tnlab.net/melcblog/2012/04/120426.html

正直未だに、私がやったことが良かったのか悪かったのか、全く分からない。しかしそのとき、ダンスがコミュニケーションの中心となりうるという実感を体で感じた私は、「ダンスで巻き起こる様々なコミュニケーションを見てみたい。」と強く思ったのである。これは、アメリカへ留学する理由の中の1つでもあった。「ブロックパーティーがそこらじゅうで開催され、街ではストリートダンサーが、踊りまくっている」なんて妄想に浸りながら、留学への期待を膨らませていた。こうして、アメリカ オレゴン州 ポートランド市という小さな都会にやってきたのである。全く想像できていなかった訳ではないが、ブロックパーティーやストリートダンサーなんて1度も目にすることも無く、そこには樹々のある落ち着いた安らぎの空間が、ただただ広がっていた。苦笑いしながら、振り出しに戻った私であった。

自分との出会い②「よそ者という視座。」

オレゴン人の気質というか、特徴に「おしゃべり好き」という性格があるそうだ。当の本人達も自覚しているみたい。電車に乗れば、バスに乗れば、カフェでコーヒーを待っていれば、人と待ち合わせをしていれば、ショッピングをしていれば…とにかく何をしていても(笑)話しかけられてしまう。最初は戸惑って、すこし嫌悪感を抱いてしまったけれど、帰国したときは「世界一おしゃべりな国から、世界一もの静かな国に来てしまった。」と、非常に寂しかった。

そんな彼らの気質も手伝ってか、案外居心地よく生活をしていた。しかし、やはりそうはいっても私は、アメリカでは外国人。そこに腰を落ち着け生活しているといえど、やはり地域にはコミットしきれないむずがゆさ、疎外感、そしてある種諦めのような離脱感さえあった。そんなときにその「よそ者」という視座を少しだけ獲得できたような気がする。しかし案外、「よそ者」というのも悪くはないもので、生まれも育ちもポートランド人には当たり前のことに、私はいちいち目を輝かせて感動できたり、異世界にいるからこそ「よそ者」にしか味わえない価値や光景などを目の当たりにすることだってできる。道でバイオリンを演奏しているだれかに駆け寄る私をみて、「そんなのいくらでもいるだろうよ」と言わんばかりに、いつの間にか私を置いてスタスタと先を行ったポートランドっ子。「あれすごくすてきなのに!」って力説しても分かってはくれなかった。例えば、同じカフェというロケーション、同じテーブル、同じ椅子、同じカップ、同じコーヒーでも、東京にいるときと、ポートランドにいる時のストーリーはきっと違って語られるのだろう、そんな風に今は思う。

自分との出会い③「揺れるアイデンティティ。」

順調に暮らしに慣れてきたころ、ある1人の若いアーティストに出会った。この出会いが留学の中で一番の衝撃かもしれない。(出会いの詳細は過去記事をご覧ください!コチラ➡http://www.tnlab.net/melcblog/2012/08/120807.html)彼の作品を見ていたときに「マスミはこれどう思う?何か感じる?」と聞かれたときから、なんだか自分の価値観を試されているような感じがした。それから何度か一緒に街をぶらぶらしたり、ご飯を食べたりしていくうちに、「マスミはいったいどういう人間なんだい?」と私という核心への質問をズバズバとしてくるものだから、自分が一体何者なのか分からなくなってしまった。「I don't know.」では済まされない彼の鋭いまなざしが、私のアイデンティティを大きく揺さぶっていった。自分は一体何者なのか…答えが出せない質問が脳内で渦を巻き、なんだか落ち込んだ日々が続きいた。それから、自分というアイデンティティにあまり自信がなくなっていた。

自分との出会い④「彼らが大好きです。」

あるとき、友達がゲイバーに誘ってくれた。何の気無しに行ってみた。至って普通のバーだ。みんな食ったり飲んだり踊ったりしていて、特に何も変わりはない。しかし、解散となっていざ店を後にすると、味わったことの無いような爽快感、あと何に満足したか全く分からないけど、充足感とかそういう類いの思いに満たされていた。それからというもの、落ち込んだり悲しかったりしたときに、足繁くゲイバーにいき、その原因不明の気持ちのよい思いをしていた。ちなみに誕生日は、ポートランドの老舗ドラァグクイーンパブみたいなところでお祝いしてもらった。彼らの話はとにかく聞いていて楽しいし、冷たいことも言うけど、それでもあったかい気がする。そして妙に説得力があったりするから、「ふんふん」って聞き入って、なんだか良いこと聞いた気分になる。(酔っているからお互いによく憶えてはいないけど笑)この不思議なパワーは一体何だ。彼らが私を惹き付ける魅力は何だ。今とにかくいえるのは、「彼らが大好きだ。」ということ。私はゲイとレズビアンの方々としか関わったことがないけれど、属にいうLGBTと言われている方々すべての人には計り知れない影響力があるのではないかとウキウキワクワクしている。私が落ち込んだときにハッピーな気持ちを分けてもらったときのように。

自分との出会い⑤「地元をもっと素敵な場所にしたい。」

留学中は東京のアパートも解約していたので、帰国してすぐに実家のある新潟県小千谷市にもどりった。久々に会う家族や友人の顔を見てホッと心が安らいだ。帰国して間もなくなので、暇もあり、けっこう色々な人と会うことができた。昔の仲間や、Uターンで帰って来た友達・先輩、家族ともゆっくり話せた。そんななか、衝撃な言葉達を耳にした。いや、今までもきっと耳にしたことはあるだろうけど、一旦アメリカで「よそ者」になってきたのもあるのか、今回ばかりは私の中でのその言葉達の響き方が変わっていた。「だべるとこファミレスぐらいしかないね」「結構パチンコ屋って出会い多いよ」「飲み会はスナックでよくやるよー」彼らにとってこれらの言葉は決してネガティブではないし、むしろこれが土地柄というものなのかもしれない。しかし、それらの言葉の奥に彼らの「自分の地元なのに突き放して他人事にしている感」を少なからず感じてしまったのである。「ファミレスとかパチンコ屋とかスナックとかじゃなくて、老若男女、手放しに、だべったり、出会ったり、食ったり飲んだりできたらいいのに。」「そしたらもっと素敵な私のホームタウンになるんじゃないのかな。」地元はもともと大好きだし、誇りを持っている。でもこんなに突き動かされた感情をもったのは初めてだ。

今後の活動

LGBTや、社会的ジェンダーということに興味をもち、軽やかに越境していきたい。そして、みのりCafeにてお手伝いさせていただきながら、コミュニティデザインなどの現場を目の当たりにしていき、自分の芽生えた地元への気持ち・考えを深めたい。今年はどんな人に出会えるのか、また、新たなる自分の内なる声に出会えるのか、意気揚々としている。

 


 

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カテゴリー: ますくん

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