2013年3月29日から一泊二日で、2年連続の神奈川県箱根の強羅という場所で春合宿を行なった。アメリカから帰って来て、1期生たちが卒業し、生まれ変わった新たな長岡研での1回目の活動。私の今回の春合宿ストーリーは「わたしのホーム」というタイトルにしようと思う。
まず赤裸々に言っておかなければならないのは、春合宿開始前からぐちゃぐちゃで、不安な雰囲気の中始まったこと、そしてゼミ生の中の何人にとっては第二回目の春合宿であり、初めての経験ではないということ。ここはまず認識しなくてはならない部分である。新2年生を加え、そして私にとってはほとんど新しい顔ぶれでのゼミ活動。「どんな人たちなんだろう」という気持ち、新ゼミ生、新長岡研究室を肌で感じたいという思いで参加した。今回はシリアス・ファンということを特に意識して春合宿にのぞもうというお話を先生からいただいた。真剣に遊ぶ・一見バカなことを真剣にやる・ここまでやるのか!というところまでこだわる、ということである。
今回のワークショップは「プレゼン大会」。2チームに別れ、それぞれ旅行代理店という設定で、クライアントは長岡先生夫妻。案件は、長岡先生が大学院生時代にお世話になったというイギリス在住のご友人家族が、東京へ旅行に来た際の旅行プランのプレゼンだ。テーマは「東京らしさ」。
- マルチモード表現(映像、音声、画像、身体表現、口頭などの複数の表現方法を使うこと。)
- コラボレーション(個人の表現スキルを用いて、かつ、全体の内容、イメージ、個人スキルの調整を全体で確認しながら1つのメディアを作るというスタイル。)
- プレゼンというメディアのライブ感・刺激的な雰囲気
- 「プロ」のスタンス(相手が誰なのか、誰に納得してほしいのか、誰に「うん」と言わせたいのか、という意識。)
この4点を意識してプレゼン大会をしようということで始まった。チームひとりひとりに役割をあて、創造的なコラボレーションをしながら、プレゼンを作り上げようというもの。余談だが、ダンス好きの私には「お、ひょっとしてプレゼンでダンス踊れるかも!」と思って少し嬉しかった記憶がある。私はディレクターという大きな仕事に就いた。ディレクターという仕事は本当に難しい。みんなのまわりをふらふらし、様子を見るっていうことが、すごく難しくて、気づくと何か作業をしている私だったのである。今思うと、みんなのことが心配で、ディレクターというよりは、ただの世話焼きオバサンみたいだったな(笑)(写真下:ワークショップ)
私たちのグループは「Feel Tokyo」というプレゼンを作った。子の喜びは親の喜び、友の喜びは自分の喜び。長岡先生ご友人夫婦の息子さんをとことん楽しませ、彼らなりの東京らしさを見つけてほしい、という気持ちを込めて。相手チームのプレゼンは「心の旅」、長岡先生だからこそできる東京観光を、というプレゼンだった。お互いに正反対のテンションで進んでいったプレゼン。私のチームは入りから歌ったり、言葉数を少なくして動きのあるパフォーマンス。かなりアゲアゲな状態にして、楽ませたいという一心で行なった。相手チームは、効果的に築地市場の雑踏の音などの効果音や、時間に沿って空の色を意識した写真など、落ち着いた印象。ジャンプしたら画面が切り替わるっていうのもすごくよかった。そしてなにより、漫才みたいなやりとりをしていたプレゼンターの二人が、なんと即興でやっていたということ!「実は打ち合わせとかできなかったんですよ…」ということばに、私たちは「えっ!まじで!すごい!」と驚きを隠せなかった。即興であれだけの完成度をだせるというのは、すごくかっこよかった。両チームとも、「だんだんお客さん(長岡先生)そっちのけでことがすすんでいて、だれに伝えたいのかがわからなかった。」というコメントをもらった。たしかに、だんだんプレゼンを作るのが楽しくなって来て、プロの意識を忘れていたと今思う。お客さんを意識するというよりも、自分たちのやりたいことをやろう!という素人の意識になっていたのはまぎれも無い事実。そして実は、格好わるい話だが、去年の春合宿同様、私たちのグループはやりたいことをわんさか盛り込んで、満杯状態のプレゼン。「完成品をもう一度改めて振り返り再構築する作業」がない。「そういえばそうだったな…」と落胆。そして山場がありすぎたというお話には、私が高校生のとき、ダンスで自分たちのステージを作っていたときに言われたことだ。「波がなくてずーっと単調だよね。」どうやって山場を作るかで、悩んで悩んで結局デオチで終わっていたという記憶もよみがえった。
自分の中でプレゼンをかなり動きのあるものにするという新たな挑戦はとても収穫があったと思った。「ダンスは世界を変えるチカラがある!」と未だ信じている私だが、やっぱりプレゼンでダンスという身体表現はとても有効な気がしたのである。ただ、踊り手がかなり洗練されていないと、すこしサムイかもしれないが、感情を揺さぶることはやっぱりできるんじゃないのかなって思った。プレゼンターのソーラン節は短時間の練習でしたが、私はとってもかっこ良かったと思った。相手を感動させることはなかなか容易なことではないけれど、ダンスという身体表現が一旦伝わってしまえば、それが動かす人の感情というのは、大きいと思う。(写真右:プレゼンターの新二年生2人)
アンカンファレンスでは他己紹介というものをしました。4チームに別れて、自分で自分のことを話す自己紹介ではなく、まわりの人が持つ印象をその人に投げかけ、その人はスケッチブックにすべてを書いて、2分経った後に、○×で答え合わせをしていく。自分がどんな風に思われているか、面白くもあり、すこし悲しくもあり(笑)とても楽しかった。他人をどれだけ見れているか、というのは、創造的にコラボレーションしていくときにかなり重要だと思った。短い期間でどんな人なのかを判断できて、振る舞い方を変えたり、どんな距離感を保てば良いのかわかったり、好きな食べ物を差し入れできたりだとか、とても小さいことだけどその小さいことこそが人をクリエイティブにさせる要素の一つだと思う。こんな感想を持ったのとは裏腹に、アンカンファレンスが終わると、話が盛り上がるっていう感じではなく、誰かの話を一生懸命聞いているっていう雰囲気を感じた。アンカンファレンスって所々にグループができてそれぞれカジュアルに真剣に話をして盛り上がっているというイメージだったのだが、他己紹介の後はなんだか、カンファレンスっぽいというか、なんというか、お固い雰囲気になっていたのではないかと思う。(写真左上:アンカンファレンスでの様子)
この合宿で一番感じた違和感は「ホームなのに居心地のいい感じがしなかった」ということ。私も含めて、初めて会う人もいて打ち解けるのに時間はかかるかもしれなかったが、以上にしらじらしいというか、お互いの顔をうかがいながらというか、活発な議論ができなかったし、できるような雰囲気じゃなかったと思う。振り返りの時間に、企画を練ったり、プレゼンのアイディアを出す時、「自分の意見が言えなくて、受け身だった」とか、「考えていることが口に出せなかった」、「自分の意見よりももっと良い意見がでるだろうと思っていた」という話を聞いた。そんな雰囲気は好きじゃない。でもただ単に和気あいあいとして、仲良しごっこをするつもりも無いし、何でも言っていい雰囲気"だから"何でも言うっていうのも、違う。一体このジレンマは何なのか。同じ一期生だったゼミ生たちが卒業してからはじめてのゼミ活動、これはただの郷愁の思いなのか。そんなもやもやが残った。
創造的なコラボレーションを今年の長岡研究室でしていくには、やっぱりわたしは「ホームの居心地の良さ」を追求したいなと思う。アメリカから帰って来てかなり私が思っていた「ホーム」と、今の「ホーム」とのギャップがあった。だからこそ、今の私たち、2013年の長岡研究室にとっての「ホームの居心地の良さ」を実現していく為には、どうすればいいか。しばらくそのことについて考えていきたいなと思っている。今年度も越境活動をしていくなかで、これからも週一回のゼミは「ホーム」として近況報告できたり、仲間と話すことで何か気づけたり、すこし肩の力を抜ける場所であったりできたらいいと思う。
思った以上に固くなっていた脳みそを解きほぐし、シャキっと目が覚める様な春合宿だった。
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