MELC(長岡ゼミ)のブログ

自己の存在を篩い分ける

| コメント()

篩い分ける。今現在の私の状態にピッタリな言葉である。単に篩にかけて条件や基準に合わないものを除外するというようなpickyなことはしたくない。私は今自分自身を篩にかけて揺さぶり、自分の中の好きなもの、興味がある事、やりたいこと、選別し吟味して、自分を再構築・再認知しているのである。

休学中の私にとって前期も後期もくそもないわけだが、私にももちろん振り返りは必要である。私はゼミの箱根春合宿(春合宿過去記事:http://www.tnlab.net/melcblog/2012/04/120402.html)を終えたあと、直ちに踊った。なまった体にムチを打って、それでいていそいそと現役ダンサー達に紛れ込み、昔の自信と今の現状との大きなギャップと戦いながら、楽しく踊っていた。そしてなんとか舞台に立つまでにこぎ着けたが、舞台を終えた後そのビデオを見て、自分のあまりにも情けない姿に、愕然とし赤面した記憶がある。そして踊って行く中で見えた、私の視点・視座・視野の中での些細な問題を発見でき、さらにそれを見て見ぬふりはできずに、はじめて自分でちいさなワークショップを開くという試みをした。たくさんのひとの絶大な協力によってやっとこさ成り立った、完全に私の力量不足なワークショップであった。しかし初めて「I」の視点で捉えた問題を自分で提案し、どうやったらその問題に手が届くのだろうかと考え、表現できたことに喜びを感じた瞬間でもあった。(ワークショップ過去記事:http://www.tnlab.net/melcblog/2012/04/120426.html

2012-07-29 21.22.11.jpg

そうして間もなく私はアメリカのオレゴン州ポートランドにやってきたのである。アメリカ生活2ヶ月が経ち、今やっと自分の生活の基盤ができつつあり、落ち着いて冷静に”探険”できる思考状態になってきている。最近ひょんな出会いでこちらの若いアーティストの1人と知り合いになった。彼はpainting artistである。NY出身の24歳。彼のオリジナルはフィリピン人で、NY生まれNY育ち。昔からNYのヒップホップカルチャーに興味を持ち、特にグラフィティに惹かれたという。グラフィティというのは、壁にスプレーの塗料で文字を書いたり絵を描いたりすることである。読んでいる方も、渋谷や原宿の高架下でそれを見た事があるかもしれない。しかしグラフィティは器物破損の1つであることに後ろめたさを感じた彼は、真面目にアートをしようとポートランド州立大学に来たのだという。専攻はArchitectureと言っていた気がするがよく覚えていない。(最近まで知らなかったのだが、ポートランドはアートで有名な場所らしい。特に舞台や音楽、映像といったパフォーマンスアート系。)

IMG_20120730_192029.jpgある日、彼と彼のアーティスト仲間がお金を出し合って借りているビルの1室のギャラリー兼アトリエを見学させてもらえるチャンスがあった。彼は今奨学金がストップしているから家も無くギャラリー暮らしだというから驚いた。シャワーは友達の家に借りに行き、寝袋は大学から借りているのだそう。彼は”マジ”である。「家ないってつらくない?」「起きてすぐ作品が作れる環境は最高だよ。」…没頭するとはこういうことだ。本物のアトリエタイムを目の当たりにしてとても感動した。そしてギャラリーはギャラリーでも単に作品を飾るところではなく、そこで酒を飲んだり、歌ったり、踊ったり、楽器を弾いたり、寝そべったり。まるで秘密基地やアジトを思わせる場所である。友達が友達を呼び更に友達を呼び、アジトは彼らのアーティストネットワークを広げる為の発信地になっているのかもしれない。その魅力的な場所にとても興味を持った。(画像左:アトリエの様子)

私はアートに関しては完全に無知である。正直、彼の作品や彼の仲間の作品もよくわからない。どんな意味が込められているのかと聞くと、そのときのフィーリングだから自分でもよくわからないと答える。しかし1つだけ彼が明確にしていることは、見た人が何を思うかということ。しつこいくらいに「どう思う?何を感じる?何か君の中で変化はあった?」と聞かれる。基本知識もなければ英語もまだ拙い、それに訳の分からない絵を目の前に出されても言葉が見当たらない。しかし彼から尋常じゃないエネルギーは感じた。「人の心を動かすアートをつくりたい。自分のアート人の心情を変化させたい。」そのときの彼の輝いた目とこの野心的な言葉は私の頭から離れない。その1つの大きなポイントが彼の人間性を物語っているようにも感じた。

前にツイッターで「私は今、現地住民とゲストの狭間にいる」とつぶやいた。確かにここの居心地は最高だ。長岡先生のリプライにあったように、「『居心地いい』ほどに馴染んでいるが、『しがらみに悩む』ほどは溶け込んでいない。」しかしその曖昧なポジションな分、ここで人と出会いわかり合うためには、つまり友達になっていく作業をするためには、自己の存在を常に自分自身で投げかけなければならない。I came here to study English. だけではもはや足りないのである。何に興味があって、何が好きで、どんなことを将来したくて…加えて、そのことに関しての世界観だとか価値観をクリアに持ていて…。自分自身を他人に語るということが人間関係の構築はおろか、生きていくという過程の中で本質的なものであることを確信した。アメリカでの生活環境とこの出会いがまさに今の私を「篩い分け」の状態にさせたのである。

「私はダンスが好きだ。大学の専攻は経営学だがダンスとコミュニケーションを研究している。何故なのか。この前のワークショップで考えた事は、舞台演出学(そんなものあるのかしらないが)にもつながるのではないか。はたまた服飾研究なのか。パフォーマンスアートも面白そうだ。その授業はぜひ受けてみたい。舞台も見に行きたい。アーティストの方の話を聞いたり作品を見たりするのもなんだかすごく楽しい。人のアトリエなのになぜか心地良い感じがするのはなぜだろう。あのアジトみたいな場所、なんでこんなに魅力的なんだろう。セラピストのオーガナイズ論って授業も面白そうだな。そうだパフォーマンスアートの教科書を読んでみよう。」私の中で様々な思いや疑問が渦巻いている。自分のアイデンティティーをクリアにしているプロセスの真っ最中。そんな感じのする今日この頃である。

9月から念願のポートランド州立大学へESL student (English as a Second Language student)として行く訳だが、パフォーマンスアートの授業を聴講する事・パフォーマンスアートの教科書を読破することをプロジェクトとする。チャレンジングなことだけに、士気が高揚している。

カテゴリー: ますくん

コメント

What's New

twitter