長い1週間が終わった。MELCの休日は土曜でも日曜でもなく「木曜日」、各自が越境してアウェイな環境でもまれて疲れて帰ってくる。そしてたまには休日は「家族」と一緒に外に出かける。遊園地には行かないけど、買い物して食事してリフレッシュする。「カフェゼミ」とはそんな休日の過ごし方の一つではなかろうか。
早いもので「カフェゼミ」も第3回目。今回、前半は カフェゼミ × 読書会 という事で、上田信行先生の「プレイフル・シンキング」をコミュニケーション装置「がちゃトーク」をつかって吟味した。
上田信行「プレイフルシンキング」
http://www.amazon.co.jp/
自画持参プロジェクトから生まれたガチャトーク
http://jigajisan.net/index.html
参加者の疑問や問いがそのままお題になる「がちゃトーク」。最初のお題は「自分の思い通りにならないときあなたはどうする?」、スピーカーは田代君。「プレイフルにできれば理想的だが、正直今は自分の選択肢のひとつとして「逃げる」というのもあるなと思う。」と言ったのが印象的だった。着飾らないすごく正直な感想。背伸びして無理してカッコつけない。あぁ、今の自分の最重要課題ではないか。カッコつけずかっこいい。そんな田代君のスピーチは堂々としててすごくよかった。
10分間のディスカッションでは私たちのテーブルは「相談」について議論した。思い通りに行かなくて悩んだら誰かに相談する。きっと客観的なアドバイスが欲しくて相談しているのだろう。しかし私たちはどこかでは自分の欲しい答えを求めて、その答えを言ってくれそうな人に相談しにいくのではないだろうか。相談しに行く時点で自分の中の答えはほぼ決まっているのでは?という議論になってのがおもしろかった。
二つ目にして最後のお題は「自分の将来の可能性を感じるためには、どのような方法をとればいいか?」という問い。スピーカーを引いたときに嫌な予感がした。あの青い紙…やっぱり俺だ。そこまで何を話そうか決まってはいなかったが、最近特に印象深かった話が自然と口から出てきた。
それは中原先生にいわれた「失うものは何もない」話。私たち若干20歳の若者はほとんど妻もなければ子供もいない、住宅ローンだって背負ってないんだから失敗のリスクがオトナとは大違いでゼロに等しい。だから何でもできるといわれた。確かにそうで、今はどこにでもいけていろんな人に会えてそこでいろんな新しい発見に出会える。そんな新しい可能性に出会える状況に可能性を感じる。とそんな話を脈絡なく話した。
その後のディスカッションは「何をやったらいいのかわからなくなったとき」にどうするのかを、直感と好奇心で行動していくMELCのモットーを鍵に議論した。まずは一歩を踏み出してみる。人に必要とされて呼ばれていくでも構わないけど、迷ったら考えないでまず直感と好奇心で行動する。行動する事で初めて、新しい発見に出会い自分の可能性がひらけていくのではないか。半年間意識してきた事が自然とつながり口に出せて自分でも気持ちよかった。
後半は「憧れ」について全員で考えた。
そういえば自分を振り返ってみると「憧れ」という言葉はあまり使わない。ひとりひとり「尊敬」する部分はあっても「憧れ」までいく事は最近あまりないなと思った。「憧れ」ってなんなんだろう。昭和時代に流行った古い言葉で今風でいう「尊敬」なのかな?と自分のなかで消化しかけた時に長岡先生の意見。「憧れとは自分の限界を超えるパワー。振り向いてほしいがために何でもする。いわゆる勘違いなのかな。でもそんな自分を変えるようなパワーを何かしら持つのが大切なのでは」と。聞いた瞬間にかなりストンと自分の中で落ち込んだ。自分の限界を超えるパワー。欲しい。斜に構えて冷たくいないで、「憧れ」の人に振り向いてほしくて熱くなる。つらくても「憧れ」があるからプレイフルに活動できる。だから「憧れ」の人がいると答えた人はポジティブだし、いつも目がキラキラしているのか。
「憧れ」てしまう明確なものを持っていない私は「憧れ」というものを持つ事に一種の「憧れ」を抱いてしまった。
「恋に恋する」ように「憧れに憧れる」
いまはそんな状態である。そして「憧れ」を求める思いが、また明日から私を越境させるのであろう。
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