MELC(長岡ゼミ)のブログ

「『カフェゼミ』に行くために、カフェゼミに行く。」

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三番町カフェ1

 

試行錯誤の中、初の試みで行われた、カフェゼミから一週間。

第一回目のゲストとしてカフェ文化研究家飯田美樹さんを迎え、SANBANCHO CAFÉのご協力の元、新しいプロジェクトが始動した。


「学びの場を学外に作る」という意味では、カフェゼミ自体は昨年度から少しずつ実験的に開催していたのだが(2月に書いた、ヒヨコのような記事を参照して欲しい)、今年度からよりオープンに、人数もかなり増えて本格的に動き始めた。幸いにも、アクセスの良い都心のど真ん中で、十分な広さとあたたかい雰囲気を醸し出すカフェに巡り合え、私たちのプロジェクトに全面協力して頂けたことに、心から感謝の意を述べたい。


記念すべき第一回目のテーマは、「なぜ、カフェゼミ?」 を飯田さんと共に考えるまず、飯田さんのプレゼンテーションからこの日のセッションはスタートした。その中で、いくつか「カフェの意義」についてのヒントを得ることができた。カフェの最大の効用は、既定のコードが存在しないこと。もちろん全てがあてはまるわけではないけど、レストランに行けばご飯を食べるというコード、barに行けばお酒を飲むというコード、大学では講義を受けるというコードが規定されている。それに対して、カフェはコーヒー1杯を注文する、以外のコードは存在しない。何をしても「自由」で、カフェに集まる人たちもフラットな関係。合目的性がほとんど追求されない、不思議な空間、それが「カフェ」という場所なのである。19世紀末、社会を変えてしまうようなアーティストたちは、フランスのパリのカフェに集まった。彼らは決してコーヒーを飲むためにカフェに通ったわけではない。そこには予期せぬ出会いがあり、人と人が繋がり、彼らが「『カフェ』に行くために、カフェに行く」ことで、結果的に革命が起きたのである。


一通りのお話で、なんとなく「カフェ」の持つ力を理解した私たち。では、「なぜ、大学ではなく、カフェでゼミをやるのか?」。ディスカッションでもなく、ダイアローグのような雰囲気でこの問いについて、向き合い始めた。そこには、ゼミ生のホームではありながらも、遊びに来てくれた他学部・他大学の学生、院生、社会人といった境界線はないように感じられた。

 

三番町カフェ2


私たちはプロジェクト活動を通して、後から意味づけをするというスタイルを取っているため、その場で答えはクリアーに出ない。モヤモヤした何かが残った人、結局カフェゼミってなんだったのだろう?とさらに疑問を抱いた人、単純に楽しかった!と思ってくれた人、感想は様々であったと思う。

「カフェゼミ」はあくまで、ゼミに忠実でありたい。ラボではない。慣れ親しんだ活動を、あたたかいカフェという場で展開しているに過ぎないのだ。その場に来る人は毎回異なるであろうし、その都度違うテーマで学びの場、偶発性をデザインしていく。ただし、普遍的なのは、私たちにとって毎週、木曜日の午後は「ホーム」であるということだ。MELCを構成するメンバーは、それぞれの興味・関心に基づいて、越境し、研究活動に励んでいる。越境の場は、決まってawayである。Awayだからこそ、いつも全力だし、必死になる。そして、ゼミという場でみんなの越境体験を持ち寄り、意味づけて、創造的にコラボレーションしていく。そんなコラボレーションの場に、魅力的な人が集まったらどうなるだろう。引き寄せの法則の元、それぞれが、それぞれのフィールドで出会った魅力的な人を引き合わせたら、何が生まれるのだろう。人が人に出会った時に、人を変えていくのだろうか。


これからも長岡研究室では、ゼミ活動の一環として、月に1度、カフェゼミを実施し、新たな学びの場を追求していく。カフェゼミは、日常の中に溶け込んだ非日常、あるいは日常と非日常の境目のような位置づけになるかもしれない。まだまだ試行錯誤は続きそうだ。そんな中でも、ここではっきり言えるのは、私たちが目指し、実現するのは『3.0の世界』であるということ。美味しいケーキとドリンクを楽しむためにカフェゼミに来ても、直観と好奇心だけでカフェゼミに来ても、目的がなくカフェゼミに来てもいい。重要なのは、「『カフェゼミ』に行くためにカフェゼミに行く」。


・・・6月14日に続く。

カテゴリー: まこ カフェゼミ ゼミ活動

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