3月17日、東京大学で行われた、Game×Learning×Funというワークショップに参加した。楽しさと学習の関係性について語り合うワークショップだ。
今回のワークショップは事前に「それでも地球は回る」というゲームをクリアしてから来てください、という予習付きのものだった。
1時間ほどかかるゲームをエンディングまでしなければならず、「めんどくさいなぁ」とぼやいていたが、いざ始めてみると大爆笑だった。
このゲームは、地動説で有名なガリレイが主人公となって、天動説を主張するシャイナーと、酒場の娘マリアを巡って天体に関する論争を繰り広げるという内容だ。
ゲームの進行は「逆転裁判」に似ており、シャイナーの天動説に反論して、言い負かせられる証拠を突きつけながら、進んでいく。
あまりに面白かったので、試しに地動説の証拠として「恋の手引き」という本を突きつけたら(もちろん間違った選択だが)、「君自身の品格を疑うから、しまいなさい」と注意されてしまった。
当日会場に入って話をしてみると、ほとんどゲーム会社の方かアプリを作っている方ばかりだった。最初はグループでゲームをプレイした感想を話し合った。私は、「○○のところが面白かったです。このキャラクターが魅力的で、こんな風にゲームを進めていきました」という感想だったが、プロはやはり目の付け所が私とは全く異なり、「会話が戻れるようにしたほうがわかりやすい」とか「ヒロインは選べるようにしたほうがモチベーションが高まっていい」とか「最初恋愛ゲームみたいだったのに終盤はマリアの影が薄い」などかなり作り手目線が盛り込まれていた。
感想を話すはずが、どんどん逸れていき、プログラマーの方が英語を学べる楽しいゲームを紹介してくれたりもした。英語版「ラブプラス」のようなもので、留学生の彼女と仲良くなるには、彼女の英語を聞き取って正しく答えないと振られてしまうという恐ろしいゲームだった…。
次に、グループで面白いゲームデザインを考えた。隣のDeNAの社員の方が「彼女(彼)のいくつかの情報を参考に周りの人がデートで成功するコーデを考える」ゲームを考えた。それから「小学生向けの、県のブロックの持ち方から地理を学ぶゲーム」を思いつくなど、本当にスゴイ。圧倒された。ただゲーム作ってくださいと言われるだけでも結構難しいのに、彼女は現実の悩みや問題をすぐにゲームに変えてしまい、プロとの差を見せつけられてしまった。
帰り道、私は「自由な学習」という言葉が頭に浮かんだ。「何かを楽しく学ぶためにゲームをする」のではなく、「一応何らかの学習ができるように作成されたゲームを使うけど、実際は何に興味を持ってどんなことを学ぶかはプレイヤー自身に任せる」ほうが、効果が高く面白いのではないかな?と感じた。他人の学習をほとんどコントロールできないかもしれないが、実際プレイしてみるまで製作者もプレイヤーも何を学ぶか分からない、というのもありかもしれない。
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