【カタリバとは?】
大学生や専門学校生、社会人などのボランティアが高校を訪問。
「進路」や「総合的な学習の時間」の一環として、これまで463校で82,800人の生徒に、授業を行ってきました。(2010年度末までの累計)
先生(タテの関係)でも友達(ヨコの関係)でもない、先輩(ナナメの関係)との対話が特徴です。生徒が自己理解を深め、主体性を引き出すことによって、将来への希望を抱くようになることを目指した、対話型プログラムです。
NPOカタリバHP参照:http://www.katariba.net/
カタリバの目的は上記の通り、親でも友達でもない少しだけ先を行く大学生という立場で自分自身を語り、そして高校生の興味を引き出すことによって「人生のきっかけ創り」を手伝うことです。大切にしていることは、語り合いの中で生徒が次の日から実行できるような小さな約束を結ぶ『約束カード』というものを作成し実行に移してもらうことです。
先日、某総合高校で行われた1年生を対象とした「カタリバ」に学生ボランティアとして参加してきました。総合高校というのは、一般的な英語・数学・国語の他に第二外国語や資格取得のための科目(コンピューター、簿記など)、そして専門的な芸術分野まで幅広い視野で学ぶことができるという特徴を持った学校です。朝の7時に最寄り駅の公園に集合して全員で高校に向かいました。その日は総勢50人ものカタリバスタッフが集まりました。朝っぱらから公園に大勢の大学生や社会人がいる光景はなんだか異様でした。笑学校に到着し、事前ミーティングを入念に重ね、スタッフにはワークシートと約束カードが配られます。ワークシートは話を引き出す為のツールであり、また高校生がカタリバ後に見返して振り返る為の大切なものです。内容は趣味・部活から卒業後にやりたいことまで幅広い項目があり、最後の約束を決める為には欠かさないものなのです。
カタリバという授業全体の流れを簡単に説明します。
①グループに分かれてアイスブレーク、打ち解けたら「カタリスト」を2人選ぶ。カタリストとはそれぞれのテーマ(留学・人間関係・夢)をスケッチブックで表現し、熱く語る人たちのこと。人数は8人程度。
②先輩の話を聞きに行くチームAとその場でワークを進めるチームBに分かれ、これを2回繰り返す。
③最後に先輩の話を聞いて感じたことなどをまとめ、ワークシートを完成させ『約束カード』の作成をする。
といった流れです。
8時30分。いよいよ「カタリバ」が始まります。高校生にはただの授業としか伝えられていないので、体育館に入ってきた生徒はやたらテンションが高い大学生と音楽にきょとん顔でした。ここでスタッフが行うことは、とにかく明るくふるまうこと、そして5,6人のグループを作ることです。仲良しグループがすぐできるとこはいいのですが、なかなか作れないという生徒に対して積極的なアプローチをかけていかなければなりません。こうしてカタリバスタッフ1人と生徒5,6人のカタリバスタイルが出来上がります。
自分のグループは女の子メインで、今風の高校生という感じでした。「人生のきっかけを創る!」とはいっても話のほとんどは雑談です。笑 好きな芸能人の話だったり、休日の過ごし方だったりと。中には全く興味を示してくれない生徒もいます。しかし、自ら高校の話、大学生活、夢などを話しているうちに自然と心を開いてくれるものです。今の悩みや迷いなども話してくれるようになります。とにかく大切なのは「聞いてあげること」「掘り下げて気づきを与えてあげること」だと感じました。約束の内容はそれぞれ小さな目標だったかもしれません。しかし、文字にしてそれをふとした瞬間に見て、「あっ頑張ろう」と思ってもらえたらそれでいいのです。
カタリバ後は一緒にお昼を食べたり、生徒は先輩に話を聞きに行ったりと思い思いの時間を過ごしました。スタッフも高校生と一緒に過ごすことで昔の自分を思い出し、「自分にもこんな時があったな、もっと頑張らなきゃな」と思えることがボランティアとしてカタリバスタッフを続けていける理由なのだと感じました。
これが初カタリバ記です。
後日談でこんなことがありました。
カタリバには、生徒に渡される約束カードの裏にあるQRコードからアクセスして先輩の名前を検索するとそのスタッフ専用の掲示板でその後の進捗状況をやりとりできる場が設けられているのですが、そこに書き込みがありました。
「大学のオープンキャンパス行くのでツアーよろしくです\(^o^)/」と。
カタリバでは興味を引き出し、約束を結ぶことを目的にしていますが、生徒全員が何らかの影響を受け、確実に約束を実行する。とはいえません。生徒は次の日から今まで通りの変わらぬ生活を送るかもしれません。カタリバを「授業だからしかたなく出た」「勉強しなくてラッキー」と思っていた子もいたかもしれません。しかし、こうやって何らかのアクションを投げかけてくれたことは自分にとってとても嬉しいことでした。カタリバで自分も誰かの気持ちを少しでもあとおしできたのだなと経験を通じ学ぶことができました。
カタリバへの参加を機に今の教育について考えるようになりました。世の中には、様々な人と様々な場面でふれあい、多様な生き方や価値観にふれ、学びの意欲を育てる機会が全然足りていない様に感じます。ニートや引きこもりだってそういった「きっかけ」を与えられない環境が生みだした社会問題なのではないでしょうか。知識を詰め込むだけの一方的な授業、アウトプットの場がテストや入試のみといった環境では新しい発見もなく、将来に対する希望も見出せなくなってしまうと思います。これでは豊かな感性は絶対に育ちません。なぜ入試というものにその人の個性を量る基準がないのでしょうか。一枚の答案用紙でその人の人生の岐路が左右されてしまうという現状はとても疑問に感じます。本来、新しい発見や将来に対する希望に気付かせてあげる存在は親であるにも関わらず、今となってはモンスターペアレンツより無関心のほうが問題になっています。親というのは最も自然な形で将来や職業観を描いてあげられる一番身近な存在であるべきではないのでしょうか。しかし、カタリバをしていて気づいたのは「親にはなかなか真剣な話はできない」という事実です。恐らく自分自身もそうだったと思います。身近過ぎるが故に言えないことがあるのだと思います。やはり世の中に、様々な人に出会いの場を創り、多様な生き方や価値観にふれさせ、学びや将来の自分を考える意欲を育てる機会は必要だと思います。小学校⇔中学校⇔高校⇔大学⇔社会といった様な直接関わりはないが身近な存在との相互関係生みだし、【後輩は先輩に憧れ、先輩は後輩と関わることで今の自分を振り返る】といったような自然な環境を創っていけば人はより前向きに生きていける。そんな気がします。
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