2月20日東京大学本郷キャンパスで行われた【勝手に「ウメサオタダオ研」】のお手伝いをさせていただいた。
Blog:勝手に「ウメサオタダオ研」(告知用ページ)
Facebook Page:フィールドノーツ研究会 俗称「勝手に『ウメサオタダオ研』」
12月21日~2月20日まで日本科学未来館で開催された「ウメサオタダオ展 ―未来を探検する知の道具―」に行ってきた方々を集め、みんなでリフレクションして共有しよう、ということで行われた。東京都市大学の岡部研の4年生の男性が中心となってワークショップの運営・進行していた。私はケータリングの発注をする事務的なお手伝いと当日受付の担当だった。ほぼ同世代の大学4年生の彼らがありとあらゆるネットワークを使って様々な人材を集めて、当日現場を仕切っている姿は頼もしさと頼りなさを持ち合わせていた。その不確実性が、いわゆるプロが仕切るそれよりも面白いものになるなのかな、と思ったり、しかしお金を頂いているわけなので「キチン」としたのを提供しなければならないのかな、と思ったり。そのジレンマが学生という肩書きを持つ学習者が主催する醍醐味なのかな、と思った。
東京都市大学 岡部研究室:OKB lab.
当日受付をしていましたが、本当に色んな人がいらっしゃっていたなぁと思った。今になって思うと、ある男性の参加者の方が「この会はどんな人が多いの?若い人が多いの?僕は梅棹先生の本が流行った同年代の人と話したいなぁって思うんだけど。」とおっしゃっていたのを思い出して、終わった後にその方から感想やお話を聞きに行けば良かったと思った。その方のチームは当然、学生・企業人・大学教授など、肩書きも世代もヴァリエーションに富んだ方に囲まれていたはずだからだ。その方が希望していたメンツじゃなかったと思うし、その方が考えていた展示会のリフレクションの会ではなかったと思うからである。彼が感じたであろう違和感からどのような気持ち、意見、感想が生み出されたのかとても気になる。それはその人からしたらただの嫌悪感だったかもしれないし、逆に、良い学習機会だったと思っていたのかもしれない。1人1人に意見を聞いてそれをすべて汲み取っていたらきりがないけれども、人がよりよく学んでいく場を考えるにあたって私はそのような違和感を感じた人の話を聞くことはとても大切だと考える。あの時、あの場所で、最高の学びの空間をつくるにはどのようにした方がよかったのか、というヒントをもらうことによって、また新たに空間づくりということを考えるきっかけになると思う。
「虫の眼」と「鳥の眼」。これは以前ORFに行ったとき慶應義塾大学の井庭研究室のワークショップで聞いた言葉である。(過去記事:Open Research Forum 2011に行きました。)自分自身の体験を近くでみて考えることと、遠くからみて考えることの意であるが、私は最近気づいたことがる。自分は少し時間をかけないと体験を俯瞰して見ることができない。体験をしてすぐはヘンな興奮状態に陥って自分を「鳥の眼」で見ることができない。常に「虫の眼」と「鳥の眼」の二刀流で繰り返し自分自身を見ていくことができれば、今回のブログの内容が後悔ではなく、さらに発展した自分の空間作りに対する意見が述べられたかなと思う。これからの越境活動においてスピード感のある「虫の眼」と「鳥の眼」の使い分けができたら、越境先でおもしろい会話を生み出すことができるのではないかと思うし、そこで生まれた会話が何かに化ける可能性は十分秘めている。しばらくの課題かなぁと考えている。
↑ ウェルカムフード(?)の情報こんにゃく。Facebook pageより転載。
↑ 受付からブレークタイム用のテーブルへ変化した図。
東京都市大のMさんとOさん、東大の中原研のSさんと主に4人でここのスペースを回していたのだが、すごく動きやすかった。初めて一緒に何かをやるとは思えない連携プレーを生み出すことができた。Sさんは現場の全体的な指揮もとっていらっしゃったので頼りになる存在でしたので、めちゃくちゃ心強かったのは言うまでもないのですが、しかしそれ以上にMさんと謎のシンパシーを感じた。(笑) お菓子の並べ方、カップの並べ方、配置など、すんなりことが進み、当日の急な変更などに臨機応変に対応することができた。また機会があったら一緒に何かしたいなと思った。このような出会いも越境の良さだと思う。
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