「学びのサードプレイス」という言葉を初めて使ったのは、東京大学・中原淳先生との共著『ダイアローグ 対話する組織』の中でした。オルデンバーグという社会学者が、アメリカの都市化について語るために用いた「サードプレイス」という概念が、「学びの場」を語るのに相応しいかどうか、中原淳先生と議論をくり返したのは、1年半ほど前のことです。
結局、人材育成とは異なる文脈で用いられてきた言葉を導入することで生じる誤解や混乱を覚悟の上で、私たちは「学びのサードプレイス」という言葉を"世に問う"ことにしました。それは、この言葉が多義性をもっているからこそ、「学びの場」に関する多様な発想や、チャレンジングな試みを誘発することになると考えたからです。私の中では、「学びのサードプレイス」は実現すべきゴールではなく、「学びの場」をめぐる新たな発想と活動のトリガーだと言えます。
そして、出版から3ヶ月後、「学習と組織をめぐる現象を批判的に読み解くこと」を研究の中心に据えてきた私が、10年ぶりに「新たな場の創造」をめざすプロジェクトに参加することになりました。それが、2009年5月に発足した「イブニング・ダイアローグ@代官山」というプロジェクトです。
この1年間、多くの方々から協力、支援、励ましをいただきながら、何とかプロジェクトを運営してくることができました。そして、「イブニング・ダイアローグ@代官山」に参加いただいた皆様やスタッフとの対話を通じて、「学びの場」をめぐる新たな発想へのヒントを得ることもできました。本当に感謝の思いでいっぱいです。
ただ、私自身の「立ち位置」について、いくつかの思いが交錯していたことも事実です。世間では「社会構成主義は、斬りつけるのが専門で、何も生み出さない」とも言われているようです。確かに、私の言動も「斬り込んでいる」と理解されることが多かったかもしれません。そのこと自体に問題があるとは思いませんが、「新たな場の創造」に私自身がコミットしたとき、「物事を批判的に読み解く」というスタンスの真価が問われることになります。もちろん、参加者の方々に満足いただける場をつくることが、私たちの使命であることは言うまでもありません。しかし、主催者自身のスタンスとして、自らの行為に対しても脱構築をめざす姿勢を崩してはいけないと、私は考えています。
『ダイアローグ 対話する組織』のあとがきで、私たちはこんなことを言っています。
あなたは、大人に学べという
あなたは、大人に成長せよという
あなたは、大人に変容せよという
あなたは、お前は大人にダイアローグせよ、という
で、そういう「あなた」はどうなのだ?
あなたは学んでいるのか?
あなた自身は成長しようとしているのか?
あなた自身は変わろうとしているのか?
そして、
あなたはダイアローグの中にいるのか?
プロジェクトの発足から1年が過ぎた今、あらためてこの言葉を読み返したとき、「イブニング・ダイアローグ@代官山」というプロジェクト自体を対話の俎上にのせるべきという考えが浮かんできました。人材育成マネジャーの方々に場を提供するだけでなく、私たち自身が運営している「学びの場」について、私たち自身が積極的に発言することを通じて、「学びのサードプレイス」をめぐる対話の輪にコミットする。これが私たちにとって次のチャレンジとなります。
2010年7月15日
長岡 健
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